田無神社に行ったならこちらにも是非~田無山総持寺にお伺いしました

東伏見稲荷神社を後にして、そのまま近くの駅から都内に戻ろうと思ったのだけれども、やはり田無神社近くにあった田無山総持寺にも行かなくてはならないような気がして、再び20分程度かけて徒歩で田無駅方面まで戻る。

そして、田無神社にほど近い、田無山総持寺に到着した。

田無山総持寺

関東三十六不動尊霊場の第10番札所であり、多摩八十八ヶ所霊場の第33番札所でもある、不動明王様がお祀りされているお寺。

田無駅からもほど近いのに、立派な仁王門があることに驚きつつ

仁王門

参道正面の金剛力士像も立派で

仁王門内側には広目天と多聞天が安置されていた。

仁王門に彫られている龍。

仁王門を潜ると左側には興教大師像と

空海さんの像があって、こちらが真言宗智山派のお寺だということを改めて実感した。

そしてその近くには妙見堂。

妙見堂

護摩供を修行するお堂ということで、お参りさせていただく。

こちらの御本尊は妙見菩薩様ということ。

妙見菩薩様は北斗信仰に関係しているということで、今までお伺いした北斗七星に関連した神社仏閣について想いを巡らせている自分が居た。

本当に神社仏閣の世界というのは学ぶべきことが多く、その学びというのはこの世に於いての経済活動には全く役に立たないということは重々承知しているのだけれども(=つまりお金にはならないということ)それでも知りたいという気持ちの方が先立ってしまう。

今回もこちらでお参りさせていただいたことで、学ぶべきことをお教えいただけた。

そして滝の不動尊という御堂へ。

滝の不動尊

このみ堂にお祀りしてある滝の不動尊は明治11年4月13日下総国成田山新勝寺第13世照輪僧正の開眼勧請し玉う所にして当町柳沢の宿屋「田丸屋」の奥庭に祠を建て安置したのである。

爾来毎月二十八日に隣組の篤信者が中心となって多数の信徒と共に集り念佛講をつくり毎月代参をご本山成田山に送り専ら不動尊の信仰を固め数々のご霊験をいただいて来た。世変り時移って大正六年三月田丸屋から当山にご遷座になった。

尚お百度参りの目標であったこの百度石は多くの信者に心の安らぎ与えて来た。
昭和六十乙丑年極月二十八日 改修再建に際し録之

と案内版には書かれていた。

そして本堂に到着した。

本堂

お線香を手向けさせていただき、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

田無神社にお伺いしただけでは、片手落ちだと気付いたのは、こちらの案内版を見た時だった。

尉殿大権現神号額

江戸時代後期制作

明治元年(1868)、政府は神仏分離令によって、神社を寺院から独立させることとしました。これによって明治五年(1872)、西光寺は総持寺と改称し、西光寺のもとにあった尉殿権現社は分離して田無神社と改称しました。

その際に「権現」は仏の位という理由から、江戸時代に尉殿権現社(現田無神社)の拝殿に掲げられていたこの扁額は取りはずされ、同神社の別当寺にあたる西光寺(現総持寺)が引き取りました。

この扁額は、現在総持寺に引き継がれ、保管されています。

この扁額の材質は欅で、縁は花頭曲線式、赤漆を塗装し文字は金箔押しが施されています。
揮毫者は「東都 河保壽敬」と記されており、制作年代の記録はありませんが江戸後期(1851以降)と推定できます。

田無神社が、江戸時代に尉殿大権現と号していた資料として貴重な扁額です。

昭和六十三年九月 西東京市教育委員会

元々は田無神社と総持寺は同じだったということ。

田無神社と総持寺の距離感がやけに近いこともあって、そんなことでは無いかと思っていたけれども、やはりそういうことだったのかと一人納得してしまった。

本殿参拝後に御朱印を頂戴したのだけれども、御朱印と共にいただけたリーフレットには尉殿大権現 神号額についての説明があった。

明治五年、西光寺(現総持寺)のもとにあった尉殿権現社は、分離して田無神社と改称しました。拝殿に掲げられていた神号額は西光寺(現総持寺)に安置されました。

御神体の倶利伽羅不動明王像も、当山本堂に遷座しました。

これを見て、田無神社にお参りするだけでは、片手落ちだと気付いたしまったのだった。

先日記事した『霊能一代』にもこんな記述があった。

稲荷信仰は何といっても白狐さんと己さん(ヘビ)、それにお不動さんで、特に巳さんの龍神系は欠かせません。商売は水物と言いますように、水の神様である龍神様は大切にされています。
~『霊能一代』より引用

と言うことで、田無では徒歩圏内にお不動様、龍神様、そしてお稲荷さんが御鎮座されていらっしゃるということは、単なる偶然だとは思えない自分が居た。

この地は、そういう土地だったのだということを。

今回ふと思い立って田無神社にお伺いした訳だけれども、初めて訪れた田無という場所は事前に思い描いていた「都心のベッドタウン」というイメージとは全然違った場所でもあった。

田無山総持寺を後にして、田無駅に向かうまでの間、この土地がほのぼのとした空気に包まれていることを感じて、都心からもさほど遠くなく、しかも利便性に優れているこの土地に住むことも案外悪くないのかも知れない、なんて思っている自分が居た。

ホント、実際に自分の目で確かめてみなければ分からないことが多い。

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