観光とはご神仏の光を観ること〜善光寺大勧進

大本願を後にして、仁王門へと進む。

善光寺、平日ということもあるのかも知れないけれど、参拝客の姿はまばらだった。そしてたまたまかも知れないけれども、外国人観光客の姿を殆ど目にしなかった。

京都や浅草などでレンタル着物を着て、ただ単に写真撮影スポットとして神社仏閣に来ている外国人観光客、私は超苦手で、純粋にお参りに来ている日本人の参拝客がお堂の片隅で観光客に邪魔されながら参拝している姿を見る度にそう感じるし、実際に自分が手を合わせていても邪魔してくる外国人は多い(お参りしている隣で大声で騒ぐとか)

コロナ前からそう感じていたけれど、コロナ明けは尚更外国人観光客のレベルが落ちているように感じる。

これも円安の影響なのだろうと思うけれど、そういった類の外国人観光客を今回の長野の旅では見かけなかったのは幸いだった。

これだけでも長野に来てよかったと思ったほど。

善光寺山門前にいらっしゃる六地蔵様やぬれ仏様に手を合わせ、門前手前にある大勧進へと向かう。

亀さんは甲羅干しの真っ最中。

大勧進は浄土宗に属する大本願とともに、善光寺の寺務を司る天台宗のお寺。

境内に入ると護摩堂があり、天台宗のお寺だと実感することができた。

大勧進の本堂である萬善堂。

おびんずる様もお寺によってお顔が違うのが微笑ましく

それぞれの仏様にお招きいただいたことを感謝してお参りさせていただいた。

大勧進にはお寺カフェもあって、お茶したかったけれども、いかんせん時間が無く、今回は諦めた(いつか必ず行けるはず、、、)

しかし久々の観光はとてつもなく楽しく感じてしまった。

前善光寺大勧進貫主 瀧口宥誠様の御本にも書かれているとおり

善光寺は今でこそ天台宗と浄土宗とが共同で管理護持しているものの、もともとは大和に法隆寺や興福寺など各宗派のお寺ができる以前創設されたため、宗派はあってないようなもの。全国的に珍しい無宗派だった。だから天台宗の比叡山でも、真言宗の高野山でも、曹洞宗の永平寺でも、日蓮宗の身延山でも女人禁制で、女性はお参りできなかった中で、善光寺は女性も子どもも、老若男女、誰でもが宗派にこだわらずに阿弥陀さまをお参りできる、いたって庶民的でオープンなお寺だった。だから善光寺は何宗ですかと人に聞かれると、わたしは「全宗です」と笑って答えている。

〜中略〜

観光とは本来、見物ではなく、そのご神仏の光を観ること。すなわち神仏に手を合わせてお参りすることで、その神仏のご威光・ご加護をいただきたいという願いであるという。その意味で善光寺は、本物の観光の寺であり、信仰の寺を言える。さらに、信心深い善男善女が全国から「一生に一度は善光寺参り」に来る日本屈指の聖地でもある。ゆえに、庶民の寺とも言われているね。

人のために生きればいいより引用

久方ぶりに本来の「観光」=ご神仏の光を見る事ができたということを実感しながら、大勧進を後にした。

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