田無神社を後にして向かったのは東伏見稲荷神社。
京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して創建された神社ということで、一回はお伺いしてみたかった場所だった。
田無神社から徒歩でも20分程度で行けるということで、歩いて行ってみた。
すると大きな赤い鳥居が目に飛び込んできた。
その大きな鳥居を潜ると
狐さんたちのお出迎えを受ける。
この空気感はまさしく伏見稲荷大社と同じだ!と感動しつつ、石段を登ると本殿が見えた。
そして手水で清める。
手水舎の周りには、神棚のお祀りの仕方や
お稲荷さんについての説明が掲げられていた。
そして本殿に向かい
今回こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。
京都の伏見稲荷大社は好きなお社の一つなのだけれども、いかんせん、現在では外国人の観光スポットと化していて、参拝する時間帯を間違えるとイライラしてしまうことが多く、京都に行ったとしても、なかなか足が向かない場所となってしまった。
けれどもこちらでお参りさせていただいて、伏見稲荷大社にもう一度お伺いしてみたいような気になった。
東伏見稲荷神社の本殿奥にはお塚があり、それは伏見稲荷大社のお山めぐりを彷彿とさせるものがあったので、お塚にもお参りさせていただくことにした。
お塚の案内図。
私の好きな本の一つに『霊能一代』という本があるのだけれども、この本は伏見稲荷大社直轄の講社の三丹支部の支部長を長年つとめられた砂澤たまゑさんという方が書かれた本で、今から4年程前にこの御本を購入して読んで、伏見稲荷大社にお伺いしたいと思った経緯があった。
そしてその年の年末に初めて伏見稲荷大社にお伺いすることが出来た。
今Amazonで見たら、この本は絶版になってしまったらしく、とんでも無い金額で取引されていることを知ったのだけれども、神様との対話と言われる本の中でも、私は一番信頼している本だったりする。
普通の人には、神様がお山にたくさんおられることは見えないでしょうが、実はたくさんいらっしゃるのです。魂に姿形はありませんから普通の人には分からないだけのことなのです。
~『霊能一代』より引用
東伏見稲荷神社のお塚は、さすがに伏見稲荷大社のお山の空気感と同じだ、とは思えなかったけれども、東伏見稲荷神社のお塚には参拝客が殆ど居ないことが却って神様との距離を縮めてくれているようにも感じた。
この東伏見稲荷神社でのお塚巡礼は、参拝客が殆ど居ないことが功を奏して、神々の皆様とじっくりと対話できる時間が持てた贅沢な一時だった。
考えようによっては、信仰心の無い単なる「観光客」で溢れかえってしまっている時間帯の伏見稲荷大社にお参りするよりも、こちらでお参りした方が納得できる参拝が可能なのではないかと思ってしまったりした程だった。
お稲荷さんも人間が一番怖いとおっしゃっておられます。人間の心が一番怖いとおっしゃるのです。ですから、最近はどんな目にあわされるか分からないので、隠れておられ、なかなか出てこられません。
~『霊能一代』より引用
今回東伏見稲荷神社に参拝したことで、再び『霊能一代』を読む機会に恵まれたことも、御神徳の一つなのだろう。
神様ごとは迷ってはいけません。
「本当かな」と言ったり「できるかな」と言ったりしていると、聞いて下さいません。素直に従うことが大切です。
すると、できないんじゃないかと思っていたことでも実現してしまうのです。
~『霊能一代』より引用
本当に大切なこと。