武蔵御嶽神社というのは、修験道に関係している土地だった。
紀元前約90年、崇神天皇が創建したと伝わる関東一の霊場。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、深山の邪神の放った深い妖霧に道を見失い、万事に陥ったのを白狼に導かれました。その後、大口眞神(おおくちまがみ)として留まり、魔物の退治を仰せつかったとう伝記がのこされています。以来、魔除け、火難除けの神として「お犬様」の霊験の信仰が始まりました。御岳神社はその武具を納めた社であり、「武蔵御嶽神社」と国号の「武蔵」をつけて呼ばれるようになったと言われています。
山岳信仰、修験道の中心として、鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、魔除け、火難除け、延命、長寿、子孫繁栄の神として栄えました。聖武天皇、源氏の時代を伝い、江戸時代には民衆の信仰を受け、今も参拝客が一年中訪れます。 また、武神の山とあって、長編小説『大菩薩峠』の「机 竜之介の音なしの剣」の一場面にもなり、文学碑でもその名を残しています。
この社は多くの戦乱の中、文暦元年には伊勢大宮司の中臣国兼に、江戸時代には大久保石見盛長安の普請奉行により、修復、造営を行われてきました。明治維新の神仏分離政策により、仁王門から仁王が取り除かれ、替わって右大臣、左大臣の像を安置、二層楼閣だった造りを一層に改め、現在に至ります。本殿は神明造り、拝殿は権現造りの古き神仏混合時代の名残があります。
境内にある宝物殿には、日本三大鎧のひとつ、鎌倉時代の武将畠山重忠が奉納した国宝「赤糸威大鎧(あかいとおどしのおおよろい)」や武将達の鎧、太刀など、多くの重要文化財が展示されています。入口には、鎌倉時代の武将畠山重忠公の馬上像があります。
~御岳山商店組合 HPより引用
宿坊もたくさんある。
猿田彦さまの碑もあったり
普通に民家の軒先にお札が貼ってあったりするのを見て
ここも東京であるということに、驚きを隠せなかった。
宿坊にも機会があったら泊まってみたいなぁ、と思いつつ、テクテク歩く。
途中、近くの農家で取れたものが無人販売されているものを見つけたり
お地蔵さんが佇んでいらっしゃる光景に、思わずほっこりした気分になった。
お店もカワイイ。
しかし修験道に関わりのある土地は必ずと言って言い程、勾配がキツイ。。。
吉野のことを思い出しながら、ひたすら神社を目指す。
途中山香荘という宿坊を発見。
山上に建ち並ぶ宿坊の一軒「山香荘 」は 300 年近い歴史を誇る宿坊です。
この山香荘は、 作家・浅田次郎氏の母方の実家にあたります。浅田氏は幼少期から山香荘を訪れており、昨年発売された短編集『神坐す山の物語』は、この御岳山を舞台にして少年だった氏が聞いた 伯母の怪談めいた夜語りが綴られ、話題になりました。
浅田氏の作品には御岳山にまつわるものが多くあります。 作品に度々登場する「武蔵御嶽神社」や、武蔵御嶽神社に仕えてきた御師たちが住宅を宿泊場所として提供してきた 「宿坊」は、御岳山が東京の霊山として謳われる所以の象徴でもあります。
~JR東日本八王子支社 プレスリリースより引用
ということもあってか、浅田次郎氏ゆかりのお宿とアピールされていた。
『神坐す山の物語』、今度読んでみよう。
そして山香荘さんの近くには神代ケヤキが。
神代ケヤキ
ずーっと、参拝客を見守っていた姿。
とても優しいものを感じてしまった。
そして参道前のお土産物屋さんが立ち並ぶ通りに出る。
勾配がきつかったので、思わずここで休みたくなる衝動に駆られるけれども、ぐぐっと我慢して(笑)、神社を目指す。
そして、ようやく武蔵御嶽神社に到着したのでした。
こちらは、本当に凄くて素晴らしいところなのでした。
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