武蔵御嶽神社に到着~。
手水で清めて、階段を登っていこうとしたら、鳥居近くの石碑に目が止まる。
大麻止乃豆乃天神社
と書かれていた。
社伝によれば、創建はだい10代崇神天皇7年に武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)が東方十二道を平定の時、大己貴命・少彦名命をお祀りしたのが起源とされ、奈良時代になり天平8年736)僧の行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現の像を安置したと伝えられる。
平安時代の延喜式神名帳には、この地の地主神である大麻止乃豆乃天神社(オオマトノツノアマツカミヤシロ)として記され、古くより関東の霊山として信仰されてきました。
~武蔵御嶽神社HPより引用
この石碑を発見できたことにも、意味があるんだろうと、思ったりした。
そして疱瘡社というお社を発見する。
疱瘡社
こちらでもお参りさせていただき、いよいよ鳥居を潜る。
急勾配の参道を抜けたと思ったら、階段だらけなので、初めて来た時には、なんじゃここ!と思った記憶があったけれども、あれから数年、全国各地の神社仏閣にお伺いした今となってはこの階段でもそんなに苦にならない自分が居た事にびっくり(笑)
馴れって怖いわーと思いつつ(爆)
隋神門
この社は多くの戦乱の中、文暦元年には伊勢大宮司の中臣国兼に、江戸時代には大久保石見盛長安の普請奉行により、修復、造営を行われてきました。明治維新の神仏分離政策により、仁王門から仁王が取り除かれ、替わって右大臣、左大臣の像を安置、二層楼閣だった造りを一層に改め、現在に至ります。本殿は神明造り、拝殿は権現造りの古き神仏混合時代の名残があります。
~御岳山商店組合 HPより引用
とあるように、こちらも明治の廃仏毀釈の影響が色濃く残っているところだったりする。
本来ならば、仁王像があったんだもんね。。。
そんなことを思いながら、階段をひたすらテクテク歩く。
山登りの人達からは、煩悩の数どころじゃない階段の段数よねぇ~ナンテ声が聞こえてきた(笑)
そんな人のためなのか、カワイイベンチがあったりします。
途中には稲荷社もあったり
稲荷社
三柱社もあったりします。
三柱社
途中途中でお参りしながらなので、階段を登るのも苦にはならない。
そしてようやく拝殿が見えてきた~!
あいにく拝殿は工事中。
狛犬さんたち
とっても凛々しい狛犬さんたちなのでした。
そして拝殿でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
お参り後は、神符授与所で御朱印と、お守りと御塩を御砂を頂戴して、そしておみくじを引かせていただく。
武蔵御嶽神社のおみくじは、とても当たると評判らしい。
と、いうのも、御祭神の一柱が櫛麻智命(くしまちのみこと)様で知恵と占いの神様ということと、日本最古の占いである「太占神事」という秘祭(現在では群馬県富岡市にある貫前神社と武蔵御嶽神社の二社のみに伝わっている)が行われる神社ということが由来しているらしい。
けれども当たるということは、辛辣なことも書かれているということで、恐る恐るおみくじを引いたら、本当に見抜かれているようなことが書かれていて卒倒しそうになった(爆)
ちなみにこちらのおみくじは、古語で書かれているので、御親切に現代語訳で書かれたものがファイリングしてあった。昔来た時にはなかったので、尋ねる人が多かったんだろうなぁ、ナンテ思いつつ、自分のおみくじの番号の現代語訳を見た。