恵比寿で働くようになったものの、まだ行けていないエリアというものはある。
先日もそんな普段は余り行かないエリアにランチに行き、とても美味しい中華をいただいた。
そして食事を済ませて、そのお店から恵比寿駅方面へ歩いていると、途中お稲荷さんが御鎮座されていることに気が付いた。
その時は同行者が多数居たのでお参りすることは断念したのだけれども、何故かずっと頭の片隅にこちらにお参りしなくてはならないのではないのかしらん?という思いが渦巻いていた。
そして今回やっとお参りすることが出来た。
恵比寿山下伏見稲荷
京都伏見稲荷大社の恵比寿扱所です
ご自由にご参拝ください
と案内版には書かれていた。
昔このエリアは良く歩いていたけれども、その時はこちらにお稲荷さんがあることにすら気が付かなかった。まぁその頃は神様や仏様の存在を全くもって信じていなかったせいもあるかも知れないけれども。。。
それにしても新しいなぁと思いつつ、鳥居に向かって歩いて行く。
そして赤い鳥居を抜けて、こちらのお社の前に建立されている鳥居を潜ると空気感がまるで違って感じられた。
ここ恵比寿ですよね?と思わせる位の御神気が漂っていたことに、正直驚きを隠せなかった。
そして今回こちらにお招きいただいたこと、そして恵比寿で働かせていただいていることに感謝してお参りさせていただいた。
すると、とてもお喜びいただけたようで、私までウキウキとした気持ちになれてしまった程だった。
そしてお社前にあった案内版で、こちらの由縁を知る事となった。
「恵比寿山下伏見稲荷大明神」縁起
そもそも、この山下伏見稲荷大明神は、明治二十年当時まだ田畑山林の広がっていたこの地に、五穀豊穣の守護神として村民の信仰の拠りどころとなっておりました。
その後里移り物変わり、いつとはなしに田畑山林は商店街へと変わり、その間、幾度にわたる近火にも類を蒙ることなく、商売繁盛の大明神として、その縁日にはゆかりの商人の出店も数百に及び、繁昌を極めたものであります。
そして昭和二十年五月二十四日には東京空襲で戦火に遭いましたが、信仰心の厚い氏子多数、特に故長嶋國浩氏の御厚志により、同二十一年七月この地に再建造営されました。
その後三十年を経て、その間の熱心な信者のお守りにも拘わらず、社殿の腐食甚だしく昭和五十一年三月、多くの信者の方々のご奉納により新たに改築が行われました。
更に四十数年の時が流れ、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災の影響により社殿礎石に亀裂が目立ち、新たに社殿を建替えることとなったものであります。故長嶋國浩氏の子孫の故子之吉氏と祐司氏の御厚志により引続きこの地を提供していただき、稲荷大明神を信仰される多くの方々や近隣企業の皆様方のご奉賛により社殿の造営がなされ、境内や参道も整えられました。
そして、稲荷明瞭も地名に沿って山下伏見稲荷から恵比寿山下伏見稲荷へと改められ、平成二十九年四月の完成を見たものであります。
平成二十九年七月吉日
恵比寿山下伏見稲荷講
こちらのお稲荷さんについては、恵比寿新聞さんのこの記事が詳しいのだけれども↓
街のお稲荷さん「恵比寿山下伏見稲荷神社」が改修再建。しかし都会ならではの問題も。 https://t.co/Nfx8D12tg8 pic.twitter.com/449wLOoAhe
— 恵比寿新聞 (@ebisushinbun) 2017年5月26日
ホント恵比寿に住んでいる人、働いている人、そして恵比寿が好きな人がお参りすると良い神社だと思います。
私の個人的な感想としては、久々にいいところを見つけてしまったような、そんな気分になれる良い神社でした。