朝7:51発の中津発の電車に乗って宇佐に移動。8:17に宇佐駅に到着したけれど、すごく小さい駅でびっくりした。
そこからタクシーに乗って宇佐神宮に向かう。タクシーの運転手さんがどこから来たの?と尋ねてきたので、東京からです、と言うと、最近やけに東京から来る女の人が多いんだよねーと言っていた。到着までの時間、宇佐神宮について説明を受ける。宇佐神宮は参道左は神の領域、参道右は仏の領域と言われていると聞く。
10分位で宇佐神宮に到着。(ちなみにタクシー代は¥1,340でした)
宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ宗廟(そうびょう)だと知っていたので、絶対参拝客が沢山居るものだと思い込んでいた。けれどもこの日は誰も居ない。余りの人の居なさを不思議に思いつつ、参道を歩く。
神橋
神橋を渡ってしばらく歩くと黒男神社があります。
黒男神社
御祭神: 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
そのすぐそばに、大鳥居。
結局表参道入口から手水舎のところまで、誰にも会わなかった。まるで人のお庭を勝手に歩いているような気持ちになる(爆)
手水舎
御丁寧に参拝の順路が書いてあった。
祓所
ここでやっと人の姿を見かけるも、祓所に向かって必死に祈っていて、邪魔するな!という気が伝わってきて、思わず困惑してしまう。
気を取り直して、歩みを進める。
西大門
ここに差し掛かった時、突然光が差してきた。歓迎頂いたようなキブン。
宇佐鳥居
上宮に入ると、昨日の雪のせいで路面が濡れていたのも相まって、至る所光っていた。ここ上宮には私の他にも数組参拝客が居たので、ちょっとほっとしたりして(笑)
御神木
その後お札・お守り授与所で、宇佐神宮オリジナルの御朱印帳を頂いて、それに御朱印を頂戴する。そして普通の神社では余り見かけない、いわゆる「巫女鈴」を発見したので、こちらも頂いておいた。以前行った元伊勢籠神社でも頂いたので、現在巫女鈴を二つ持ってる事になる(爆)ちなみに元伊勢籠神社は「お祓い鈴」で、宇佐神宮は「幸運鈴」。両手で持つと巫女気分が味わえます(笑)
お御籤を引いて、昨日の奥平神社と同じメッセージを頂く。とにかく頑張れ自分、と再確認して上宮を後にする。下宮に行く前に夫婦石を確認することを忘れていた事に気付いたので、そちらを先にチェックしておくことにした。
夫婦石
宇佐神宮について調べた記事にも書いたけれど、一人の人は両足で、夫婦やカップルの人は手をつないで一緒に踏むと幸せになれるといわれています、という事で、両足で踏んでおいた(笑)
若宮神社
参拝ルートが上宮→若宮神社→下宮となっていたので、若宮神社にもご挨拶しておいた。こちらは応神天皇の子供の仁徳天皇をお祀りされており、御祭神の三体の神像は国の重要文化財に指定されているとの事です。
そして下宮の参道を歩く。上宮だけ参拝する人が多いのか?ここからまた誰にも会わなくなっていった。
下宮
宇佐神宮の境内案内図を引用すると
御祭神は上宮と同じで、古くから御炊殿(みけでん)といい、神へ捧げる食事を調理する場でもありました。創建は810年~824年といわれ、農業と関係が深いといわれています。近くには兆竹(さましだけ)が生えています。これは、かつて占いの際に使われていた竹と言われています。
という事。
兆竹(さましだけ)
その後八坂神社に伺う。
八坂神社
弥勒寺跡にあり、須佐之男命をお祀りしています。毎年2月13日に行われている「鎮疫祭」は御心経会と呼ばれ、僧侶が参加する神仏習合の祭礼です。2月12日の夕方から行われる宵祭では、斎庭に用意された大木に神火が灯され古神札を焼納し、15日まで焚(た)き続けられます。
ということで、八坂神社境内にはまだ火が残っていた。
八坂神社の龍。かっこいい。
そして弥勒寺跡などを見学。ここはホントに仏の領域って雰囲気だった。
弥勒寺跡
稲荷社
願掛け地蔵
天満神社
呉橋
仏の領域を一通り見たので、次は参道左手の神の領域へ。
亀山神社
上宮のある小椋山(別名:亀山)の山神をお祀りしている神社との事です。
亀山神社を下って右側に進んでいくと、御霊水があります。
御霊水
そして菱形池にかかっている石橋を渡ると、水分神社。
水分神社
お久しぶりです、高靇神さま!
という気持ちでいたら、光った。
そして、木匠祖神社にもお参りした。
木匠祖神社
宮大工・寺大工・桧皮師・塗師など職人の守護神との事です。
ここから表参道に戻り、今度は大尾山参道へ。
参道途中の右手に頓宮があったのでそちらにも寄ってみる。
頓宮
夏越祭りの時に、神は神輿にのり、2泊3日の間滞在する別荘が頓宮との事。
頓宮から少し歩くと、いよいよ大尾神社の鳥居が見えてきます。独特の雰囲気。
宇佐神宮はどんぐりが至る所に落ちている。どんぐりを見て、縄文時代に思いを馳せてみたりした。
参道の階段を登り切ったところに、和気公之碑というものがあった。
説明文を読んでたまげる。石碑の筆は東郷平八郎。先月東郷神社へ行ったばっかりだったので。。。
この碑を右手に進むと護皇神社。
護皇神社
宇佐神宮HPから引用すると
道鏡事件の際、八幡大神様の神託を受けて国の危機を救った和気清麻呂をお祀りしています。
ということ。
そして護皇神社を背にして右手に進んでいくと、そこは大尾神社。
大尾神社
こちらも宇佐神宮HPから引用すると
天平勝宝元年(749)八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸、天平勝宝7年(755)伊予の宇和に移り、10年後奈多宮を経由して宇佐に御帰還になりました。その時、宇佐三山の一つ大尾山の頂上に御鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765)に造営し、八幡大神様はここに約15年御鎮座されました。この間の神護景雲3年(769)7月11日、和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際して勅使として参拝され、八幡大神様より国体擁護の御神教を授かった聖地です。
ここで、しばらく動けなくなる。いろいろなメッセージを貰った。
こちらでの参拝を終え、次に向かったところは、宝物館。伊勢神宮賜品神宝が特別展示で見られるという事だったし、国宝の孔雀文磬(くじゃくもんけい)も見たかったのだ。もちろん誰も居なくて貸し切りだった(爆)
8時半参拝スタート、12時半参拝終了。
宇佐はもういいや、と思いバス停で時刻表を見たら、丁度中津行のバスが来る時間だったので、バスに乗って中津に戻った。
バスには乗客が一人も乗って居なくって、ここも貸し切り。バスの運転手さんと話しながら中津まで戻る。今宇佐神宮に行ってきたけれど、人がほとんどいなかった、と言ったら、通常土曜日だったら、駐車場に沢山の車があるけれど、今日はほとんど無かったよね、と言われる。そして、このバスも大分空港から中津までの路線だけれど、今日はほとんどの飛行機がキャンセルになってしまっているので、このバスにも乗客が居ないんだよ、と言われた。
一日出発が遅れていたら、宇佐神宮自体、来られなかったのかと思うと、本当に不思議な気分になってしまった。初めて伊勢に行って、御神楽をあげた時のような状態だなぁ、と思いだした。あの時も天候が悪く、私以外に御神楽をあげる人が居なく、一人きりでお神楽を鑑賞するという稀有な体験をしたのだった。
呼ばれていたのか、と思ったりした。