バスで移動し、辺津宮に到着。
参拝客も、ちらほら居たけれど、思っていたよりは人が少なかった。平日午後だからかしらん?と思いつつ。
こちらは総合案内所。車のお祓い受付と、「お守り」「お札」の授与所でもあります。御朱印はこちらで受け付けているというので、参拝前だったけれど、取り急ぎ御朱印を頂いた。とても丁寧な巫女さんと神職の方が対応して下さった。そして何故かとってもいい香りのするところだった(気のせい?)
早速境内へ
太鼓橋
手水舎
李家幽竹さんの本によれば、辺津宮でいちばんのスポットはこの手水舎と書かれています。
祓舎
神門
迫力ありすぎの狛犬さんたち
神門をくぐると
拝殿
って工事してた、、、
宗像大社のHPから引用させて頂くと
※約40年振りとなる修復事業『平成ノ大造営』
平成33年迄、約10年をかけて当大社を構成する三宮(沖津宮・中津宮・辺津宮)諸施設の修復事業を行う『平成ノ大造営』が、本年(平成25年)より開始されました。 これにより総社・辺津宮の本殿と拝殿は覆いがされ、約1年をかけての修復に入っており、平成26年12月迄は仮本殿にて御参拝頂いております。
という事で、この光景は平成26年12月までしか見れないという事で、ある種レアだと思う事にした(笑)
本殿を囲むように末社が連なっているのを見て、何となく、出雲大社を思い出したりした。
御神木の楢の木
家に家紋があるように、神社には「御神紋」があります。宗像大社の御神紋は、ご神木の楢の木の葉と実をあしらった文様で、歴代の宗像大宮司家の家紋としても使われてきました。また、のちに皇統守護の御神勅を戴く鎮祭の由緒より、皇室の御紋である「十六菊花」紋を勅許に受け御神紋として用いています。菊の御紋を表紋、楢の葉の御紋を裏紋として使い分けています。
~『むなかたさま その歴史と現在』宗像大社発行より引用
だから神門にも「十六菊花」紋があったのか、と納得。
その後、高宮参道を歩いていく。
御神木の相生の樫
別々に出た芽が互いに結合し、一つの木になったものです。仲睦まじい夫婦の姿になぞらえ命名されています。
~『むなかたさま その歴史と現在』宗像大社発行より引用
そして高宮祭場に行く前に、第二宮・第三宮にお伺いさせて頂くと
こちらの空気は伊勢神宮そのものだった。と、それもそのはずで
伊勢神宮の第60回式年遷宮(昭和48年)に際し、特別に下賜された別宮の古殿を移築再建したものです。
~宗像大社HPより引用
ここにきて、昨日の櫻井大神宮で聞いたメッセージと同じものを受け取る。そうですよね、と。
第二宮
第三宮
その裏に鎮座されている宗像護国神社にもお邪魔する。
宗像護国神社
そして高宮参道に戻り、いよいよ高宮祭場へ。
高宮祭場
お参りさせて頂こうとすると、50代半ば位の夫婦が、高宮祭宮の賽銭箱横で、磐境にお尻を向けて、磐境と自分達を一枚の写真に収めようとゴチャゴチャやっていた。終わるまで、階段下で待っていたが、なかなか終わらない様子。そうしたら、私の他にも参拝客が並び始めた気配に気づき、ようやくその場を離れた。
日本人は本当に二分化してきているのだなぁ、と思ったりした。神社に参拝する人でも、本当に崇敬の念を持って真剣に参拝する人たちも居れば、観光地気分で物見遊山でやってきて、ロクに手も合わせないで、パワースポットキャーキャー的なノリで去っていく人たち。後者は目に見えないものを信じていないから、こういう行動がとれるんだろうけれど、目に見えないもの程、神秘的で、恐ろしいものはないのにね。
気を取り直して参拝させて頂いた。
高宮祭場でもお御籤がひけます。
そして、こちら特有のものを発見した。開運厄除の切り離しタイプの木のお守りで、裏面に願い事、表面右側には氏名と年齢を記載して、半分に折り、右側をこちらに結んで、左側は自分で1年間持っておくと言うもの。
このお札に願い事などを書いている時、人目に付かないところで書いていたら、突如として色々なメッセージが降りて来る。忘れないように携帯電話のメモ機能に残しておいたくらい。
右側のお札を境内に結んで、再びお礼を申し上げ、高宮祭場を後にした。
そして拝殿近くの御守等の授与所で、宗像大社発行の『むなかたさま その歴史と現在』という本を頂く(初穂料¥1,000)宗像大社に奉職した神職が、最初に先輩神職から手渡される本が『むなかたさま』という事で、宗像大社の概要が良く分かる本だった。
儀式殿
昭和56年に東京の靖国神社より移築された建物で、ご皇族の行在所(お休み処)として使用された一室を含む由緒ある建造物との事。
そして心字池周辺を散策。
約2時間の参拝を終えて、バスで東郷駅まで戻り、電車で博多まで戻る。
流石にこの日は疲れが溜まってたのか?
ホテルに戻ってお風呂に入ってベッドに横になったら、そのまま寝ていて、気が付いたら夜中の3時だった(笑)