富士山に祈りを捧げる人@高尾山山頂にて

琵琶滝を後にして、高尾山山頂を目指す。

在宅勤務でここ数カ月、まともに動いていない身としては、歩くだけでもなかなかの運動ということで

途中健脚なハイカーの方に抜かされつつも、マイペースで歩く。

ひとり自然の中を歩いているだけなのだけれども、歩みを進めるごとに、心と身体が軽やかになっていくのを実感した。

外出自粛中にベストセラーになっている本も読んでみようかと『運気を磨く~心を浄化する三つの技法~ (光文社新書)』という本を読んだ。

この本の中に「無意識のネガティブな想念」を浄化していく三つの技法というのがあり、その一つに「自然の偉大な浄化力に委ねる」というものがあった。

こうした自然の持つ「心の浄化力」は、ただ、表面的に気持ちが爽やかになり、心が洗われるようになるということだけではない。それは確実に、我々の無意識の世界のネガティブな想念を洗い流し、浄化する力を持っている。

~中略~

もしわれわれが、本当に自然の浄化力に身を委ね、無意識の世界を浄化したいと思うならば、それが空や海、山や森、朝日や夕日、月や星など、何でも良い、独り、静かに、その自然に正対し、身を委ねることである。そして、その自然が自分の中に浸み込んでくるイメージを心に描くことである。

運気を磨く~心を浄化する三つの技法~ (光文社新書)』より引用

まさに、自然が身体の中に浸み込んでいくことを感じつつ歩みを進めた。

同行の人が居ると、おしゃべりなどに気を取られ、自然に身を浸すという行為が(私にとっては)難しいので、やはり何かを変えたいと思って登山や神社仏閣などにお伺いするとなると、一人で行動することがベストなのかな、と思いつつ。

6号路終盤、山頂に続く急な階段が地味にきつく

日頃の運動不足を痛感しつつ、やっとのことで山頂に辿り着いた。

おそうじ小僧様もマスク姿。

そして、富士山を拝むために大見晴台へ。

天気が良ければ、様々なお山がここから望むことが出来るのだけれども、生憎この日は小雨混じりの曇り空だったので、富士山を見る事が出来なかった。

分かってはいたもののちょっと残念だなぁ、なんて思っていたら、傍に居た、一人で来ていた御老人の男性が、富士山に向かって祈っている姿が目に入った。

気迫に溢れ、一心不乱に祈りを捧げているその姿を見て、富士山が見れないから残念、なんて思っていた自分の愚かさに気付くと同時に、目に見えないけれども、確実にそこにあるものを信じると言う姿、つまりは信仰のあり方というものを学ばせていただけたような気がした。

山頂を後にして、薬王院へと向かう。

高尾山の奥の院に差し掛かり、まずは富士浅間社へお参りさせていただいた。

拙いながらも大祓詞を奏上させていただくと、どこからとなく風が吹いてきて、紙垂がゆらめいた。

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