閼伽井を通り過ぎ、地蔵院に到着。
地蔵院でお参りさせていただいた後に向かったのは、かわらけ投げ。
売店で3枚¥200のかわらけを購入。
私もいろいろなところでかわらけを投げてきたけれども(笑)、流石にかわらけ投げ発祥の地である神護寺のかわらけ投げの景色は「見事」としか言い表せず
自身のこれまでの厄をかわらけに載せて、空中に放つ。
もやもやとした気持ちは全てかわらけに投影されるが如く、物理的にも粉々になって、藻屑かのように消えて見えなくなった。
非常にスッキリとした気分になれたという事は、何かの厄が祓われたという証拠なのでしょう。
そして、神護寺にお伺いするのならば、是非ともお伺いしたいと思っていた所へ移動する。
それは、和気清麻呂公の墓所。
歩いていると、鐘楼に差し掛かった。
神護寺の鐘楼は「日本三銘鐘」と言われていることを、お寺の方よりお教えいただいていた。
ちなみに日本三銘鐘というのは、神護寺の鐘、平等院の鐘、園城寺(三井寺)の鐘だということで、知らず知らずのうちに全て訪れていたことに気付いた。
日本三名鐘(読み)にほんさんめいしょう
日本の代表的な梵鐘。三井寺の鐘は音色のよさ、平等院の鐘は藤原時代の作で装飾のよさ、神護寺の鐘は875(貞観17)年に記された銘で知られる。
~コトバンクより引用
神護寺の鐘は直接見ることは出来ないのですけどね。
(参考)↓平等院の鐘
(参考)↓三井寺の鐘
そして、和気清麻呂公の墓所へと向かう。
この道でいいのかしらん?と半ば不安になりつつも、歩みを進めると
美しく苔むした光景に出会う。
私のカメラでは、この美しさを映し出せないことに軽くジレンマを抱きつつ歩くと
和気清麻呂公の墓所に到着した。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
宇佐神宮にお伺いしてから5年の年月が経過して、こうしてまた和気清麻呂公ゆかりの地にお招きいただいたと言うことには、何か意味があるのだろうと思いつつ。
身に覚えのない謂れなき理不尽なことは、結局は正しい方向に修正され、その理不尽という曲がったものは、倍になって不正を行った者に返るだけのこと。
そんなことをメッセージとして、いただくことが出来た。
美しく苔むした道を戻る。
途中、羽を見つけて、これも何かのサインなのだろうと感じた。
文覚上人の御墓にもお伺いしたかったけれども、結構距離があるとお伺いしたので、今回は断念。
神護寺は美しい。
それは華やかさとは程遠いけれども、自然に溶け込んだ祈りの美しさを感じたいのならば、これほどまでに美しい場所も滅多に無いのでは、と思った位だった。
恐らく、またお伺いすることになるのだろう。