神護寺から西明寺へ徒歩で移動。
うだる暑さの中、清滝川のせせらぎが心地良い清涼感を醸し出していた。
指月橋を渡る。
汗だくになりながらも、石段を登ると
西明寺の表門が見えた。
西明寺は、空海さんの甥であり、最初の弟子であった智泉大徳様によって、神護寺の別院として創建されたお寺ということで、一度お参りさせていただきたかったのだった。
昔、東寺に参拝させていただいた際に、「お大師さまのおことば」という紙を頂戴して、そこに書かれていた空海さんの智泉大徳様に対してのお気持ちに甚く感銘を受けた、というのが影響している。
哀れなる哉 哀れなる哉 また哀れなる哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
表門を潜り、境内にお邪魔させていただく。
またまた参拝客が居なかったことに不思議な感覚を覚えつつ。
拝観料を支払い、本堂の中にお邪魔する。
本堂の中は写真撮影NGだったので、写真は無いのだけれども、こちらの御本尊は運慶によって彫られた釈迦如来様ということ。
芸術品として仏像が好きな人にはたまらないのだろうと思ったけれども、それよりも、そのこじんまりとした釈迦如来様にお参りさせていただくと、何も恐れることはない、というような安堵感をひしひしと感じてしまった。
そしてこちらのお寺にお伺いするまでに、その存在を知ることは無かったのだけれども、本堂左側に明忍律師様というお方がお祀りされていた。
明忍律師様というのは、永禄年間(1558~1570)の兵火により焼亡した西明寺を、慶長7年(1602)に再興されたという方。
明忍律師様の像の脇に「自誓得戒の教え」について記されたものがあり、その教えによれば、誠心を持って神仏の前で誓を立てれば、神仏の加護する力と自分の努力する力とで初めて生活に規律(戒)が立ってくるのであるということだった。
この明忍律師様の「自誓得戒の教え」に桂昌院が帰依され、現在の西明寺本堂を寄進したということ。
この教えに、甚く感動してしまった自分が居た。
お参りを済ませ、御朱印を頂戴した際に、珍しい御守りが頒布されていることに気付く。
その名も「倍返りお守り」
出るお金に感謝しましょう。
倍になって帰ってきます。
お寺の方に、こちらの御守りについてお伺いすると、聖天様がお祀りされていることに由来するという。
出るお金については、ついつい惜しい、という気持ちになりがちだけれども、出るお金に対しても、いただくお金と同様に感謝の気持ちで使わせていただくと、それは倍になって帰ってくるということもお教えいただく。
確かに出るお金について、感謝の気持ちをいただいたことは余り無かった身としては、それは貴重な学びとなった訳で、こちらの御守りも頂戴した。
そして聖天堂にお参りさせていただいた。
西明寺はこじんまりとしているけれども、とても美しいお寺だった。
高野山の智泉廟にお参り出来ていないことに今更気付き、やはりそろそろ高野山にお伺いしなくてはならないのか、と思ってしまった。