三井寺の知識もないままお伺いしてしまったが故、その境内の広さに半日で回る事が出来るのかと懸念しながら移動する。
ここはやはり境内案内図に従って、順路通りに巡るのが一番なのではないかと思い、仁王門方面へと進む。
そして釈迦堂に到着。
釈迦堂
釈迦堂左前に弁財天様がいらっしゃったので、こちらでもお参りさせていただき
釈迦堂でもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
修学旅行と思わしき年頃の団体が通り過ぎるのを横目に、手水で清めさせていただき
金堂へと続く石段を登る。
石段を登り切ると金堂が見えた。
金堂近くには日本三銘鐘として知られている「三井の晩鐘」がある。
三井の晩鐘
そして金堂前に到着した。
金堂
絶対の秘仏とされている弥勒仏様がいらっしゃる場所。
1595年(文禄4年)豊臣秀吉が園城寺の寺領を没収し、廃寺を命じたために、三井寺の金堂等は移築させられたということ、そして、移築された旧金堂は延暦寺西塔の釈迦堂として現存しているということだった。
↓こちらは比叡山延暦寺の釈迦堂です。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そしてお堂内を回ると、円空仏の善女龍王像など、凄い仏様が普通にお祀りされていたことに驚きを隠せずにいられなかったのだけれども、その中でもこちらで一番印象に残ったのが「尊星王像」だった。
尊星王像
*写真撮影禁止の為、ポストカードの画像です。
尊星王は北極星を神格化したもので、妙見菩薩ともいわれているということ。
北極星、妙見信仰、という文字を目にして思い出したのは、伊勢の外宮と秩父神社。
昔書いた記事にも引用させていただいたけれども
中国の古代天文学及び哲学では、北極星を宇宙の中心と考え、北極星を神霊化して天帝太一とした。この不動の北極星の周囲を規則正しく回転する北斗七星は天帝の乗車、また輔弼(ほひつ)とされて、その二者は相即不離の関係にある。北斗七星は絶対狂わない天の大時計として農時の目安とされ、穀物神ともされた。しかし同時に看過されないのは北斗七星の形成するその斗形(ますがた)、つまり天の大匙ともいえる形である。この形の故にも北斗は御饌の調進者と考えられたものと思われる。
私見によれば、伊勢神宮の天照大神には太一、御饌津神の豊受大神には北斗がそれぞれ習合されていて、内宮・外宮の呼称も内側の太一、その外側を回転する北斗にそれぞれ拠っていると推測する。
~狐―陰陽五行と稲荷信仰より引用
そのお姿というものを目の当たりにしたような気になってしまった。