京都で平将門公に出会う~膏薬辻子・京都 神田明神にお伺いしました

いつも京都に宿泊する際には、京都駅周辺のホテルにしていたけれども、ホテル予約サイトを眺めていたら、四条烏丸のビジネスホテルが格安だったので、今回は四条烏丸に宿泊することにした。

ホテルにチェックインした後に軽くシャワーを浴びたらとてもすっきりしたので、気分が良くなりホテル周辺を散策に出る。

すると、膏薬辻子という素敵な路地を発見。

風情ある景色に、京都に来たことを実感しながら歩いていたら、神社があることに気付く。

それは、なんと京都にある神田明神だった。

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京都 神田明神


何故京都に神田明神???と思いながら、案内版を見ると

平将門公は、桓武天皇五代の後裔で、東国において武士の先駆者「兵(つわもの)として名を馳せた人物です。この地は天慶の乱に敗れた将門公の首級が京都に運ばれ晒されたと伝わる場所です。古来よりこの地に小祠が祀られておりましたが、このたび将門公を祀る東京の神田明神よりご祭神をお迎えいたしました。

皇居のほとり、大手町の将門塚は、京の都で晒された首級が胴体を求めて関東に飛び力尽きて落ちた場所として、今なお都心の霊所として、将門公の「強きを挫き、弱気を助くる」精神を慕い、参拝がたえません。

東京に鎮座する神田明神は、大己貴命、少彦名命とともに、平将門命を祀る神社です。天平2年(730)に大手町・将門塚周辺に創建され、その後延慶2年(1309)に将門公が合祀されました。

元和2年(1616)に江戸幕府により江戸城から見て表鬼門守護の地へ遷座しました。江戸幕府より「江戸総鎮守」の称号をいただき、徳川将軍をはじめ江戸の町人たちによっり崇敬されてまいりました。

神田明神の大祭「神田祭」は「天下祭」「御用祭」とも称され、江戸城内において徳川将軍の上覧を仰ぎました。明治7年には明治天皇陛下も親しく御参拝されました。

現在は祇園祭とともに日本三大祭りの一つに数えられ、二年に一度、五月住中に行われ、二百基に及ぶ神輿担ぎがにぎやかに行われております。

尚、この土地・建物は、故・神田神社責任役員氏子総代・遠藤達蔵氏のご遺志を継ぎ、娘の平野憲子様により寄贈されたものです。

と書かれていた。

そもそも膏薬辻子という地名が、

天慶3年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町でさらされて以来、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。

京都でも、空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。

と、この神田神宮(神田明神)が由縁だということだった。

中にお邪魔すると、小さなお社があり

天井にはの図

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

私は京都も好きなのだけれども、私はやはり関東の人間なのだということを、京都で神田明神様にお参りさせていただいたことで実感した。

今回の旅は、平将門公を調伏するために運ばれた不動明王様がいらっしゃったという神護寺に参拝した後に、意図せぬかたちで、京都の神田明神にお参りする格好となった。

そして、東京に住んでいながらも、久しく神田明神様にお参りしていないことを反省し、東京に戻ったら、いの一番に神田明神様にお参りさせていただくことを誓った。

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