西明寺から高山寺まで徒歩で移動。
只今の気温という標示が37度を示していたことに、改めてこの日の暑さを実感しながらも歩く。
そして高山寺に到着した。
裏参道を歩く。
すると案内がありまして
災害復旧工事の為、拝観は石水院のみ可能とのことだった。
せっかく来たのに、と言う想いと、この暑さの中、高山寺をくまなくお参りさせていただいたとしたら、熱中症になってしまうのではないか?、という懸念もあったので、これはこれで良かったのでしょう、と思いながら、石水院へお伺いした。
栂尾山 高山寺・石水院
靴を脱いで、拝観料を支払い、中にお邪魔する。
特に写真撮影NGとは書かれていなかったけれども、何となく写真は撮ってはいけないような気がしたので、石水院の中の写真は撮らなかった。
中に入ると、かつて春日・住吉明神の拝殿であったという廂の間に差し掛かる。その落板敷の中央には小さな善財童子像が置かれていた。
そして順路通りに進むと、左側には明恵上人樹上座禅像や鳥獣戯画などの複製が並べられており、右側を見ると山々が見えて、そして清滝川のせせらぎが気持ち響く上質な空間が広がっていた。
明恵上人と言えば求法の決意のため自ら右耳を切り落とした、という印象が強かったお方なのだけれども、その行為を行ったという仏眼仏母像の前に佇むと、複製と言えども魂に迫ってくるものを感じて、その御心に平伏したくなるようなものを感じた。
そして、その像を見ていたら、果たして現代の宗教者と言われる人々は、そこまでの想いで神仏に接しているのだろうか?という想いに駆られる。
いろいろな神社仏閣にお伺いすると、それに伴い様々な宗教家と出会う機会が多い。
中には思わず拝みたくなるような崇高な想いで神仏に向き合っている方もいらっしゃるのだけれども、たまには凡人よりも金や名誉を求めているような、俗にまみれているような方もいらっしゃる。
私事ながら、口では綺麗ごとを語っていても結局は俗にまみれていたんだな、というような方に出会う場面が多かったので、殊更、明恵上人の純真な御心に触れられたことが救いのように感じてしまった。
まぁ、私もそんなことでイチイチ目くじらを立てている初心な奴と言われれば、それまでなのですが。
そして、一枚の掛板を発見した。
それは、明恵上人自筆と称されるもので「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」というもの。
明恵上人は、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」を座右の銘にしていたといわれ「栂尾明恵上人遺訓」には、
『人は阿留辺畿夜宇和の七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背く故に一切悪しきなり』
と記されている。
そして「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」とは、戒も律も守らず、俗人以上に俗な生活を送ってまったく恥じることのない当時の僧侶に対して示した痛烈な批判の言葉だったともという。
鳥獣戯画の複製や、運慶作の仔犬も可愛らしかった。
しかしながら、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」に触れられたことが今回、石水院にお伺いした最大の収穫だった。
世界遺産のお寺ながら、酷暑のためか、はたまた工事中ということもあってか、さほど参拝客が居なかったので、心ゆくまで石水院南縁から見える山々の景色や川のせせらぎに身を任せることが出来た。
そして、そろそろ京都行きのバスの時間が迫っていることに気付き、御朱印と宝物のポストカードセットを頂戴して、石水院を後にした。
神社仏閣の旅というものは不思議なもので、疑問に感じていることなどを抱えていても、ふと行きたいと思ったところにお伺いすると、その疑問が解決されるような出来事や、お言葉に触れられる。
これこそが、お導きというものなのではないかと思った、京都・高雄の旅だった。