大師堂を後にして、次に向かったのは金堂。
石段を登り、金堂にお邪魔させていただく。
須弥壇の中央にはご本尊の薬師如来様がいらっしゃる。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいたら、お寺の方からお声掛けいただいて、内陣でもお参り出来ることを教えていただく(紅葉シーズンなどの参拝客の多い時以外は、誰でも内陣まで入ることが可能とのこと)
そして、参拝客が誰も居なかったこともあるのか、お寺の方より金堂内にある寺宝についてご説明いただくことが出来た。
灌頂暦名(空海さんが結縁灌頂を行った手控えの複写)についてご説明いただく。
そこには最澄様のお名前がしっかりと記されていたことに甚く感激してしまい、書物などを読んで頭の中でしか認識することが出来なかった、空海さんと最澄様の交流というものが、目の前で華開いたように感じた瞬間でもあった。
そして国宝である薬師如来様の前に伺う。
お堂入口付近でお参りした際には気付かなかったのだけれども、近くで見ると、私が存じ上げている薬師如来様のお姿とはかなり違った形相~そのお顔はまるで不動明王様のよう~だった。
この薬師如来様については、『大学的京都ガイド―こだわりの歩き方』という本に詳しく書かれていたので、それを引用すると
本尊である薬師如来立像について述べよう。本像は像高170.6cmでカヤ一材から掘り出され、一木彫像がもつ量感・鋭い彫口、またこの期の像に見られる厳しい表情といった特色を鮮烈に表した名作である。これほど圧倒される如来像は他にはなく、目に焼きつく印象的な姿は畏怖の念を懐かせたに違いない。
この像の伝来に関しては天長元年の太制官符を再検討した最近の精緻な論考によって、和気清麻呂が道鏡事件において八幡神より受けた託宣に基づいて建立した神願寺の本尊であったことが確定した。この託宣の主旨は、八幡神が写経・造仏・造寺により仏の功徳の力を借りて神威を増し、天皇家ならびに国家の安泰のために、災いをなす邪神と戦うことにある。本像の峻険な表情を、この神願の中で考えれば、邪悪な神に対抗するために、厳しく威圧的な力のある仏像が求められたと考えられるであろう。
~『大学的京都ガイド―こだわりの歩き方』より引用
お近くで再びお参りさせていただいたのだけれども、国宝をこれだけ間近で見られるということもさることながら、そのお力の凄まじさに圧倒されっぱなしだった。
御朱印を頂戴して、金堂を後にすると、金堂横にはお不動様のお姿が。
金堂脇から見える多宝塔。
金堂から多宝塔へ向かう途中に
御鎮座されているのが竜王堂。
多宝塔に到着。
多宝塔の内部には、国宝の五大虚空蔵菩薩像があるのだけれども、春と秋の特別拝観の御開帳の時期にしか見ることが出来ない。
けれども、そういう特別な時ではないからこそ、こうやって神護寺を独り占めできるという機会にも恵まれる訳でして。
神護寺といえば、かわらけ投げ発祥の地ということで、かわらけ投げが出来る地蔵院方面へ向かうと途中にあったのが閼伽井。
空海さんが灌頂の浄水として使用するために、自ら掘られたと言われている閼伽井。
真夏の暑さの中、こちらの前に佇むとやはり一種の清涼感が感じられ、そして、昔高野山で受けた結縁灌頂の際に、智慧の水を頭に注いでいただいたことを思い出している自分が居た。
結縁灌頂受けたのも、もう6年前か。