山科 毘沙門堂門跡にお伺いしました

先日またまた関西に行ってきました。

そして今回は念願叶って以前よりお伺いしたかった、山科にある毘沙門堂にお伺いすることが出来たのでした。

JR京都駅から一駅、山科駅で下車。

駅前のロータリーに出ると毘沙門堂への道案内があったので、それに従って歩く。

そして線路沿いを200m程歩くと、北側への案内があるのでその道なりに歩く。

ここから10分程度、閑静な住宅街を歩いていると、途中琵琶湖疏水などもあり、京都駅から一駅とは思えない自然の豊かさに触れられたような気がした。

そして毘沙門堂門跡に到着。

毘沙門堂門跡

手前には極楽橋があり

案内を見ると、後西天皇が行幸の折に「橋より上はさながら極楽浄土のようである」と感嘆されたことから極楽橋の勅号を賜った、と書かれていた。

極楽橋を渡り、歩みを進めていくと、ふわっとした優しい気に満ちていることを感じた。

今回お伺いしたのが平日だということもあり、静けさの中、この柔和で優しい空間を歩いて行く。

石段を登り切ると、仁王門。

仁王門

御守りされている阿吽の二天像さまにもご挨拶させていただき

仁王門を潜る。

そして右手にある手水で清めて

唐門を潜り、本殿へとお邪魔させていただいた。

唐門

*本殿・霊殿・宸殿・弁財天内は写真撮影NGということだったので、写真は無しです。

まずは本殿でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

こちらの毘沙門天様は最澄様が、延暦寺根本中堂のご本尊である薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられている。しかしながら秘仏であり、330年に一度しか御開帳されないということ。

この毘沙門堂門跡で感じた柔らかな雰囲気は、慈悲に富んだ最澄様自掘りの毘沙門天様から発せられているのだろう、と思ったりした。

本殿前でお参りさせていただいた後、拝観料を支払うと霊殿・宸殿も見学することが出来るということを知り、受付で拝観料を支払う。

拝観料を支払うとオーディオガイドも貸していただけるので、そのオーディオガイドと共に霊殿・宸殿を回った。

霊殿にお邪魔すると、狩野永叔主信の作の天井龍が睨みを効かせていた。

龍の目の向きや顔が、見る角度によって変化するという龍の画で、昔訪れた妙心寺法堂の中にあった「雲龍図」(法堂天井/狩野探幽筆)を彷彿とさせるものがあった。

車折神社から次に移動した場所は妙心寺。 個人的な理由で、是非とも一回お伺いしたい場所だった。 北総門 北総門をくぐ...

禅宗以外の寺院でこういった龍の図があるというのは珍しい。

そして宸殿へ進むと至る所に動く襖絵があり、角度によって距離感が違って見える等のトリックアート的な手法が取られているその襖絵は、狩野探幽の養子で駿河台派の始祖狩野益信の作だという。

オーディオガイドに従って、襖の前を右往左往して見てみると、確かに角度によって見える対象の大きさなどが違って見られることに驚きを隠せず、そして、自分が見ているものというものは、本当に正しいのか?というお題を突き付けられているような気になってしまった。

自分の見える角度だけで、物事を判断することが如何に愚かであるか、ということを。

そんなことを思いながら歩いていたら、晩翠園という庭園に差し掛かった。

晩翠園

こちらは写真撮影OKという案内があったので、写真に収めさせていただく。

「心字」の裏文字を形取った池に亀石、千鳥石、坐禅石などが配置された名園だという。

この日は平日ということもあり、私以外に参拝客の姿が無かったので、静かにこちらの庭園を鑑賞させていただく。

奥に見えるお堂は観音堂ということで、遠くからこちらにお招きいただいたことに感謝して祈りを捧げた。

霊殿・宸殿の拝観を終了し、境内を散策する。

経蔵や

お稲荷さんも御鎮座されていたのだけれども

今回、私が毘沙門堂門跡にお伺いして一番の衝撃を受けたのが、高台弁財天様だった。

高台弁財天

こちらの弁財天様は

太閤秀吉公の(母)大政所が大阪城内で念じ、大阪城落城後に(奥方)北政所が高台寺に移され祀られた弁才天であったが、当門跡中興第三世一品公弁親王が巡錫の砌り、庶民福楽の為に、所望せられて当地に勧請せられた。

~毘沙門堂 HPより引用

ということでお参りさせていただいた訳なのだけれども、この弁財天様が凄かった。

お堂内には弁財天様を中心に下方には宇賀神様、そして十五王子様のお姿があった。

弁財天様、宇賀神様の御真言を唱えさせていただき、こちらにお招きいただいたことに感謝した。

この弁財天様の世界観を表しているお堂内は迫力の一言で、写真撮影NGということもあり、この世界観を脳内に焼き付けようとしばしこちらの前で佇んでしまった程だった。

おかげで今でも脳内には、この弁財天様、宇賀神様、そして十五王子様のお姿をありありと思い浮かべることが出来る。

写真を撮ることも、旅の思い出の一つにはなるのだろうけれども、写真には映せなく、言葉にすることが難しい感動こそが旅の醍醐味の一つなのだろうと、改めて実感させていただくことが出来た弁財天様だった。

そして受付で御朱印を頂戴して、お優しい受付の方とちょっとばかりお話させていただいたことで心安らぐ自分が居た。

やはり行きたいと思った場所には、どんどん行った方が良いのだろうと改めて実感させていただくことが出来た、毘沙門堂門跡は本当に良いお寺でした。

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