バスで伊勢市駅まで移動し、駅から月夜見宮に向かって歩く。
13年前に初めて伊勢に来た時には、伊勢市駅前の寂れっぷりにびっくりしたけれども、今ではビジネスホテルが立ち並び、街自体もとても整備されてきている。
歩くこと数分で月夜見宮に到着。
日本神話においては、月読尊=月夜見尊とされ、実質的には同一神と見なされているけれども、スピリチュアル的な捉え方に於いては伊勢の月読宮と月夜見宮は「月の異なる面・波動」として、それぞれ違った働きをしていると考えられている。
月読宮の特徴としては「光の中にある月の神秘」「精神性・霊性・高次との繋がりを感じやすい」「直感や魂の声を聞く場所。特に女性性や内なる導き手としてのエネルギーが強い」と言われており、参拝すると心が静まり、内なる光と対話できるような感覚があり、自分の「月(感情・心の奥底)」に優しく触れるような印象を覚えるという。
それに対して月夜見宮の特徴としては「深夜のような沈黙」「”陰の浄化”や”因果の調整”を感じる」「潜在意識、カルマ、時間の流れの調整」「一歩引いた視点から”物事の真実”を見るような神域」「日常の中に潜む神秘との繋がりを感じやすい」と言われており、参拝すると重厚な浄化が起き、心の奥底まで風が通るような感覚や自分の「闇」や「過去」と向き合うきっかけになることがあるという。
つまり
- 光と繋がりたい時、直感を磨きたい時は月読宮
- 深い癒しが必要な時、因縁を断ち切りたい時は月夜見宮
と言われている。
同じ「月の神」でありながら、月読宮と月夜見宮は“鏡のような存在”であり、水瓶座の時代が求める「内なる調和」と「陰陽の統合」のように、この二つのお宮は、私たちの魂の両側面を映してくれる場所だと言える。
手水で清めて
久方ぶりのお参りとなってしまったことを詫び、再びお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
お参りさせていただくと、悲しくもないのに涙が溢れだしてきた。
高河原神社や
お稲荷さんにもお参りさせていただき
大楠も光り輝いていた。
月夜見宮は、外宮の別宮でありながらも内面の暗がりを静かに照らすような場所。
そんな場所で涙が出たのは、完全に魂の深い部分で癒しが起きたサインだとも言える。
抑えていた感情
忘れかけていた願い
自分でも気づかなかった痛み
そういうものがやさしく溶け出して、流れ出ていった瞬間だった。