熊野権現社を後にして向かったのは霊鐘堂。
こちらには弁慶鐘
弁慶の汁鍋などがある。
次に一切経蔵へと向かい
一切経蔵
誰も居ない中堂内に入ると、一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵から放たれるものを感じて圧倒されてしまった。
そして唐院に差し掛かる。
こちらは三井寺の開祖・智証大師円珍和尚の廟所として最も神聖な場所だということだった。
唐院にはこちらからお伺いするのが正解だったのだろう。
そろそろ時間も差し迫っていたので、三井寺を後にしようと思い歩いていると、神変大菩薩という石碑を目にした。
三井寺のパンフレットには詳細が記されていなかったけれども、こちらは本山採灯大護摩供が行われることで有名な行者堂だった。
行者堂
そして最後に気になっていたところへ向かう。
最初に総門から入って、観音堂に向かっている途中、右手に小さなお堂があることに気付いた。
その際は、まずは観音堂にお参りしなくては、と思い観音堂を目指した訳なのだけれども、やはりあの小さなお堂にお参りしなくては後悔するのではないか?との想いが頭をよぎり、最後の最後にお伺いした。
園城寺(三井寺)別所 水観寺
小さなお堂にお祀りされている薬師如来様のお姿がとてもお優しく、やはりこちらにお伺いしたことは間違いなかったと確信しながら、お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして御朱印も頂戴したいと思い、お堂の方に御朱印を頂戴し、少しお話させていただいた後、こちらの御詠歌を教えていただいた。
なむやくし
しょびょうなかれと
ねがいつつ
るりのくすりを
あたえたまうぞ
その余りにも綺麗な言葉は、私の固くなった心のわだかまりを溶かして下さった。
実はこの旅に出る前、信じられないような仕打ちを受けて、心はボロボロの状態だった。
けれどもそのボロボロの心は、私が見ている狭い世界で展開されていただけのことであって、今回旅に出ることによって、自分が見ていたものは、この広い広い世界で起こった、たった一つの欠片でしかないことに気付く。
ブログに書かないと決めたところにもお伺いさせていただき、そちらでも様々なお言葉や気遣いをいただけたこと、そして今回お伺いさせていただいた神社仏閣でもいつも以上に様々な気付きを頂戴することが出来た。
人によって傷つけられた心は、人によって癒される。
水観寺の御詠歌に書かれている「瑠璃の薬」というのは、神様や仏様、そして血の通った暖かな人間から醸し出される慈しみの心なのかも知れない。
今回の旅の最後に水観寺にお伺い出来たというのも、何かのご縁だったのだろう。
三井寺、結局全部は回り切れなかったけれども、お伺い出来て良かったという幸せな気持ちに包まれて、三井寺を後にした。
京都に戻りリムジンバスに乗り、伊丹空港から東京へ戻る。
瑠璃の薬をいただいて、目覚める。
これからは世間に何と言われようとも、本当に自分のやりたいことを貫いて行こうと。
それこそが、自らに与えられた使命なのだから。