長等神社を後にして、三井寺に向かう。
境内案内図を見ると、仁王門は離れたところにあると気付き、仁王門を目指していたはずが
総門を見て、仁王門だと勘違いしてこちらから入ってしまった。。。
総門受付で拝観料を支払うと、受付の方よりここから入ったのならば、まずは観音堂からお参りして、境内を回るのが良いとのアドバイスを受けたので、観音堂を目指した。
朝9時ちょい過ぎということもあってか、観音堂を目指す人の姿は少なく、良い時間帯にお参り出来たのかもしれない。
そして十八明神社に差し掛かる。
十八明神社
この社は延暦寺に攻め上った鼠の霊を祀っているため、 比叡山の方向を向いて建てられている、ということだった。
三井寺と言えば、以前比叡山延暦寺の山王院堂にお参りさせていただいた際に見た案内版から、昔々、三井寺と比叡山延暦寺は対立していたということを学んだのだけれども
このようなお社が三井寺があるということが、自分の中では結構衝撃的だった。
石段を登り、観音堂へ到着。
手水で清めさせていただき
お線香を焚向け、観音堂でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして観音堂一帯を散策する。
百体堂
観月舞台
鐘楼
ちょっと歩き疲れたので、ベンチに座って缶コーヒーなどを飲みつつ、眼下に目を降ろすと
琵琶湖の美しさが広がっていた。
京都方面に行っても、結局滋賀県の神社仏閣に引き寄せられるのは、外国人観光客の多さ云々抜きにして、琵琶湖の力なのではないかと思う位、琵琶湖には美しさとある種のパワーを兼ね備えていると思うのは、私だけでしょうか?
そんなことを思いながら、時間も限られていたので、次の場所を目指す。
三井寺境内には啓示のような案内が幾つかあり、観世音菩薩の御功徳というものを目にした。
歌人の会津八一氏の代表的な歌にこんなものがある
あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ
これは法隆寺の夢殿の救世観音様について詠んだ句だと言われている。
自分は一人で天と地の間に立っている、この寂しさを観音様は微笑むと。
私は観音様にお参りさせていただく度、その偉大なる慈悲の御心に涙が溢れ出そうになる気持ちで一杯になる。
人生というものは一人で歩かなければならないけれども、決して一人ではない。
観音様をはじめ、目に見えないお方は、いつも見守って下さっているということ。
そんなことを神社仏閣にお伺いすると、否応なく意識せざるを得ない。
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