旅はまさに夢のよう~大峯山護持院・桜本坊へお伺いしました

吉水神社を後にして、吉野滞在の残された時間、吉野水分神社にお伺いしようと歩いていたのだけれども、中千本バス停付近にとても気になるお寺の門を発見した。

こっちに行くと吉野水分神社にお伺いする時間が無くなっちゃうよ、と思いながらも足は門を潜り石段を登っていた。

この門は正式には徳潤門といい、石段途中にいらっしゃるのが出迎不動様だという。

そして到着したのが、桜本坊だった。

大峯山護持院 桜本坊

こちらにお伺いしたいなぁと、吉野マップを見るたびに思っていたお寺だったけれども、これまでご縁が無くお伺い出来なかった場所だった。

素敵な手水で清めさせていただき

本堂へとお参りさせていただく。

お参りしていると、本堂中に参拝客の姿があり、あれ?こちらって中でお参り出来るのかしらん?と思い受付の方へ歩いていくと、拝観料を支払えば中に入れるということで。

拝観料が¥800と、ちとお高めだったので、少し考えたけれども、やっぱり中に入ってお参りしたかったので拝観料を支払い、中に入る。

すると外の外国人観光客の喧噪とは相まって、中に入るとほとんど人がおらず、これ拝観料支払って正解!と思える程の静寂さが広がっていた。

お堂に入る前に塗香が置かれているのにも好感が持てたし、写真撮影禁止、仏像は信仰のものであり、観賞する美術品ではないので、ライト等の使用も禁止と明言された注意書きに、こちらのお寺のスタンスというものを感じて、私はこれだけでこちらのお寺が好きになった。

まずは大師堂で空海さんにお参りさせていただき、その隣にある聖天堂へと向かう。

こちらの聖天さまは約1350年前に役行者さまが大峰山の最奥にお祀りした、日本最古の聖天さまということもあり、その前に佇むだけで引き込まれんばかりのお力の程をありありと感じた。

それはまるで、お願いは何でも叶えて下さるような勢い、というものを感じたけれども、私には聖天様を拝む資格?というのか、そういう決意はまだまだ不足しているので、お招きいただいたことだけに感謝してお参りさせていただいた。

その後、聖天堂後ろにある廃仏毀釈を逃れた貴重な桜本坊の寺宝を集めたという宝聚堂にお参りさせていただいたのだけれども、この中で吉野曼荼羅図というものがあった。

その中心にいらっしゃったのが弁財天様だということが不思議で、近くに居た山伏の格好をした方に聞いてみたのだけれども、詳しくは寺務所で聞いてください、とあっけない答えだった。。。

その後本堂で役行者さまにお参りさせていただき、大講堂へと移動した。

大講堂に入る前に塗油が置かれていて、手に取り再び清めた訳なのだけれども、これが凄く良い香りだった(購入したい!と思ったけれども、後にお守り等授与所で見かけたら¥5,000と高額だったので断念ー涙)

大講堂には聖観音菩薩様と役行者母公がいらっしゃったので、お参りさせていただく。

そして天井を見上げると二匹の龍の絵が描かれており、しばし見入ってしまった。

大講堂の窓からは、上千本が一望できる素敵な光景が広がっていた。

近くにいらっしゃったお寺の方に、写真を撮っていいのか確認したところ、仏様以外はOKということだったので、お言葉に甘えて写真を撮らさせていただく。

こちらの大講堂の中で、お抹茶もいただけるということだったので、御相伴に預かる。

干菓子とお抹茶で¥500とリーズナブル。

引換券も百人一首ということで雅な雰囲気。

こちらの大講堂は、吉野のメインストリートの喧噪から逃れ、風光明媚な景色を愛でながら、自分自身と対話するには絶好の場所。

こういうのを吉野に求めていたのです!!と思いつつ、干菓子とお抹茶をいただきながら、仏様や龍と一緒にこの雅な景色を楽しんでいた。

干菓子は二個あったけれども、一個食べた状態で写真に撮ってしまったことはお許しくださいませ。。。

ちなみに、この桜の干菓子は桜本坊の縁起にちなんだものということ。

その話というのが、天智天皇の弟である大海人皇子が、ある寒い冬の日に、深い雪で覆われた吉野山に一本の満開の桜が咲いている夢を見て、この夢判断を役行者さまの高弟・角乗にしてもらったところ、桜は日本の花の王であり、大海人皇子は天皇の位につくだろうと答えた。

すると翌年には大海人皇子は天皇となり、喜んだ大海人皇子はその夢で見た桜樹のもとにお寺を建立、それが桜本坊だという。

そんな縁起の良い話を聞いたからか、この干菓子がとても美味しく感じてしまった。

本当に贅沢なひとときでした。

拝観を終え、表に出ると美しいしだれ桜。

こちらにも役行者さまがいらっしゃり

護摩道場にはお不動様。

と、こちらでゆっくりし過ぎたせいか、やはり吉野水分神社にお参りさせていただく時間が無くなってしまい、泣く泣く吉野駅を目指した。

吉野をくまなく回るには一日じゃ無理だって分かっているんですけどね、、、はい。

帰りはケーブルではなく、歩いて吉野駅を目指した。

桜の中を歩きたかったから。

そして吉野から京都に戻り、京都で買いたかったものを購入して、バスに乗り伊丹に移動。

快適なフライトで羽田に戻り

羽田からリムジンバスに乗り、都内へ戻る。

車窓から景色を眺めていたら、最近ずっと好きで聞いている宇多田ヒカルさんの『忘却』という曲が脳内で再生された。

夜の漆黒の中、遠くかすかに見えた、都心と呼ばれるところ一帯は光輝いて見えた。

ただ、一帯の光は果たして本当に明るいと言えるのだろうか?人々の欲望や執着が放つ偽りの光なのではないか?などと思いながら、私は穢土と呼ばれる東京へと戻った。

旅はまさに夢のよう。

その夢を見続けたいが故に、人は旅に出るのかも知れない。

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