全国各地、様々な神社仏閣にお伺いしたとしても、それは単なる観光でしか無く、信仰とは言えない、と言われたことを思い出していた。
あっちこっちふらふらするよりも、本当に呼ばれて、ご縁のあるところだけに行くべきだ、と。
脳天大神様の元へは、4年前に初めてお伺いして以来、年に一度だけれども、お参りさせていただくこと、これは果たして観光なのか、はたまた信仰なのかと思いながら、脳天大神龍王院へと向かう。
役行者さまにもご挨拶させていただき、石段を下って行く。
最初に訪れた時には、万人には受け入れられない場所だと思ったけれども、時を経て、空気感も変わっているように感じる。
龍王院に到着。
お線香とロウソクを手向けて、再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そしてお守り等授与所で恒例の脳天タオルをいただいて、毎度おなじみのお下がりのゆで卵を頂戴した。
休憩所では観光客が弁当を広げて談笑している姿があった。
ここがどんな場所なのか、ということを知らないのだろうと思いながらも、果して自分自身もこの場所のことを十分理解しているのか?と問われると、答えに窮するものもある。
何度も実際に足を運んで通わなければ、分からないことがあるということを、今ご縁があってお伺いしているところで勉強させていただいていることもあり、脳天大神様にとっては、私は単なる観光客にカテゴライズされているのかも知れない、と思ってしまった。
休憩所を後にして、石段を登っていく。
脳天大神様にとって、私は観光客の一人なのかも知れない。
けれども、その単なる観光客に対しても素敵な光景を見せていただけたことに感謝した。
金峯山寺蔵王堂はお昼どきということもあって、沢山の観光客の姿で溢れかえっていた。
観光客にも慈悲は届けられているのだろう。
金峯山寺から見えた、富や地位、性別や年齢などそんなものは全く関係なく、訪れる万人全てに惜しみなく美しい姿を見せてくれる桜の樹々から、そんなことを感じてしまった。
真理というものはただ一つだということを。