日頃の行いのせい、という言葉はあまり好きではない。
その言葉は他者が人を裁く時に使われる言葉であり、その出来事に遭遇した当事者を更に苦しめることになるような気がして。
そして、その当事者を言葉で裁くことによって、その言葉を吐いた人自身が、新たなるカルマを生み出していることすら気付かないのだろう。
先の年末年始、時間があったので、Kindleのunlimitedを利用して、興味がある本を片っ端からダウンロードして読んでいたのだけれども、その中で一番読んで為になったと思ったのが『マンガで解きあかす観音経 』という漫画だった。
著者の方が瞑想を元にしたビジョンで観音経を解き明かす、というものなのだけれども、これが目に見えない世界について至極分かりやすく漫画で描かれていた。
例えば、何故怒りや、憎しみ、うらみなどが良くないか?ということについては
と、ビジュアルを使って分かりやすい形で描かれている。
お釈迦様は周りに善い友達が居ないのならば、一人で過ごした方がマシとおっしゃっていたそうで(←超意訳)最近とみにその言葉の重みを感じるような出来事に遭遇しておりまして、、、
しかしながら、こういう出来事に遭遇するということは、神仏が何かを伝えたいが故に起こっているのだと考えると、やはり日々の生活こそ修行の場なのではないかと思ってしまう次第でございます。