photo credit: 宍道湖の夕日02 via photopin (license)
私は運転免許を持っていないので、いつもどこに行くのも公共交通機関を利用しているのだけれども、出雲方面の旅のプランニングには苦戦している。。。
行きたい神社仏閣はイロイロあれど、公共交通機関を利用してお参りする人々は少ないらしく、移動に頭を悩ませている今日この頃なのでした。
しかし、そんなことはさておき、お伺いしたい神社仏閣というものは次第に絞られてきた。
それは小泉八雲の『神々の国の首都 (講談社学術文庫)』という本を読んだ影響も大きい。
島根の観光案内のHPなどを見ると、小泉八雲という人の名前は避けて通れない。私の認識としては、日本の怪談をまとめた人、くらいの認識しかなかった。
けれども、これも縁なんだろうと思い、小泉八雲の著書を数冊取り寄せて読んでみたら、これが余りにも美しい文章だった。
どうして日本では樹木がこうも美しいのであろう。西洋では、梅や桜が花をつけても、目をみはらせる光景になるということがない。それがこの国では世にも不思議な美しさなので、どんなに予め本を読んでいる人も、実景に接すれば、思わず知らず息を呑む。
葉は見えず ―― 一面にうすものを延べたような花の霞である。この神々の国では、昔から木々もまた、人間になれ親しんで我が子のようにいとおしまれ、その果てに木々にさえ魂というものが宿るようになり、ちょうど愛された女のするように自分をいっそう美しくすることによってこの国の人たちに感謝の意(こころ)を表そうと務めているのだろうか。
美しい文章に触れ、この作品の期待感が高まる中、読み進めると出雲大社について書かれている章にさしかかる。
杵築 ―― 日本最古の神社
神国とは、日本を尊んでいう時の別称である。この神々の住む尊い国の中でも、ひときわ尊いとされるのが、出雲の国である。
この出雲へと、青い空なる高天原より、国生みの神伊邪那岐・伊邪那美命が下り、しばらく足をお留になった。この神こそ、地の神と青人草の遠つ神祖(かむおや)である。
この伊邪那美命が神去り給い葬られたのも、この出雲の国の国境、またこの国から伊邪那岐命は亡き妻をしたい、連れ戻そうと死者の住む根の国へと旅立たれた。この黄泉の国への旅と、そこでの出来事は、かの有名な『古事記』にも記されているが、冥界についての世界中の伝説を集めても、この物語ほど不思議な話はまずない――よく知られているアッシリアのイシュタルの冥界下りでさえ、この物語の前では、色褪せてみえる。
出雲は神の国、伊邪那岐・伊邪那美命を今なお祀る、民族揺籃の地である。その出雲の国の中でも、とりわけ杵築は神々の都といわれ、日本の太古よりの信仰、偉大なる神道の、最古の社を擁する聖地なのである。
杵築というのは、前に記事にも書いたけれども、昔は出雲大社は「杵築社」と呼ばれていた。
小泉八雲は西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝が許された人物ということで、そのことについても詳細に書かれている。
明治時代に書かれた本だから、日本という土地も、今の日本とは大分違って感じられるのかもしれないと思いつつ、小泉八雲が描く日本という土地を褒め称える文章を読むと、日本人としてちょっと照れくさくなってしまう程だったりする。
けれども、この本を読んでいたら、出雲にお伺いするのがとても楽しみになってきた。
多分、神社仏閣めぐりをしていなかったら、この本に書かれていることの半分も理解できていなかったと思う。小泉八雲という人は、日本人以上に日本人の心を宿した人だったんだろうと思った。
神道についても、造詣が深い。
しかし、現実の神道は書物の中に生きているのではない。儀式や戒律の中でもない。あくまで国民の心の裡(うち)に息づいているのである。そして、その国民の信仰心の最も純粋な発露、けっして滅びず、けっして古びることのない表象が、神道なのである。
古風な迷信、素朴な神話、不思議な呪術――これら地表に現れ出た果実の遥か下で、民族の魂の命根(めいこん)は、生々と脈打っている。この民族の本能や活力や直観も、またここに由来している。したがって、神道が何であるのか知りたい者は、よろしくこの地下に隠れた魂の奥底へと踏み分け入らねばならない。
この国の人々の美の感覚も、芸術の才も、剛勇の炎も、忠義の赤誠も、信仰の至情も、すべてはこの魂の中に父祖より伝わり、無意識の本能まで育まれたものなのだから。
日本人の魂は、自然と人生を楽しく愛するという点で、誰の目にも明らかなほど古代ギリシャ人の精神に似通っている。この不思議な東洋の魂の一端を、私はいつしか理解できる日が、きっと来ると信じている。そしてその時こそ、古くは神の道と呼ばれたこの古代信仰の、今なお生きる巨大な力について、もう一度、語りたいと思う。
小泉八雲は日本と言う土地に暮らして、そして思ったことをそのまま真実として著書に残していった。文献や又聞きなどに頼らずに、自分で見聞きしたことを忠実に記録として残している。だから、時を経ても、色褪せないものとして、人々に読み継がれていくのだろう。
旅に出る前に一読したら、そんなに期待していなかった松江の観光も楽しみになってきた(スミマセンー笑)
松江や出雲大社に行こうと思っている人が居るのならば、この本は是非ともおすすめします(注:神社仏閣が好きな人向けです。グルメとかそういうのは期待しちゃダメー笑)
神々の国の首都 (講談社学術文庫)
講談社
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