金峯山寺に行ってからというもの、修験道関連の本をよく読んでいるけれど、その中で『うわさの人物』という本が面白かった。
この本を修験道に関係している本というと語弊があるかもしれないけれど、作家の加門七海さんが心霊及び神仏の世界に関わる方々へのインタビューを集めた本で、金峯山修験本宗宗務総長でいらっしゃる田中利典氏のインタビューと、田中利典氏の弟さんである大峯山東南院住職 五條良知氏のインタビューが載っていたので読んでみた。
加門さんは田中氏のインタビューの始めにこう書いていた
氏は金峯山修験本宗の総本山、金峯山修験本宗宗務総長という肩書きを持つ宗教者だ。
しかし(怒られるかもしれないが)、私に言わせれば、田中氏は完全な霊能者だ。
そして五條氏のインタビューの始めにはこう書いていた
五條氏は、前章田中利典氏の弟さんだ。
同じ環境で育ち、同じ修験の道に入ったご兄弟は、当然ながら、考え方もよく似ている。しかし、このご兄弟は、一方は金峯山修験本宗の宗務総長であり、一方は実践的に山伏達を指導する護持院の住職だ。おふたりにお話を伺うことは、修験の理論と実践、ふたつをトップの立場から教えて頂くことに等しい。「私は霊能者ではありません」--ご兄弟ともども、いきなり否定と牽制から始まったのは、なんとも興味深かった。
インタビューを読んでいると、加門さんのおっしゃる通り、田中氏も五條氏も至極真っ当な「霊能者」であるということが分かる。「スピリチュアル」などという浮ついた言葉でない、修行者の目を通した本当の世界が文章から垣間見えた。
余談だけれども、五條氏のインタビューで 「上の人」とか言ってる、イカスピや霊能者は信用しちゃだめね、ということが分かったりした。
加門:五條さんが本物だと思う方と、そうじゃない人って、どこで区別をつけているんですか。
五條:どこというか、私にとって本物じゃないと思うのは、人間の営みを外れることをいっぱい言ってくる人。
加門:例えば?
五條:たくさんいますよ。こうやって話をしていると、いきなり「ん、(神様が)また何か言ってきました」と。なんで私と話していて、そんなことになるの、とね。この役行者のお寺にいて、行者さんの声が聞こえるのだったらまだいいけれども「いえ、もっと上の人です」って、わけわからないことを言うんです。
加門:言いますよね、上の人という言い方。
五條:そう。「なら、今あんたと話している私は下の人やから、そんな人とつき合わんでもいいんじゃないの。そうやと思うんやったらお帰り」と。つまり、その”上の人”の言いなりになるのだったら、別にここにきてお話する理由はないのでお帰りなさいよ、と。「でも人の悩みというのは千差万別だから、もっと自分をしっかりもって、アンテナを開いたり閉じたり自分でできないと、あかんのと違う」と言って、終わるんですけど。
あと、三木芳照氏(仮名・神社神職・神官)という方のインタビューも興味深かった。三木氏自身の環境が基本的にはお勤めの神社とは関係なく、三木氏個人のお話だということで、お勤めの神社名を出さず、仮名となったということだったけれども、その内容たるもの、確かに神社名など出したら人が殺到してしまうんではないかい?と思える位、的を得た物だった。
例えば段ボールにも神がいる。たまたま今、段ボールになっちゃっただけで、その前は木に宿っていて、息をしていたのかもしれない。そうやって姿を変えても神であることに変わりない。ただ、自分が勝手に神様を作ってしまってはダメです。
魔神というのは、また別で、その人が生まれながらに持っている悪質じゃないですか。何かがその人に潜んでいるんでしょうね。でも、それは見える人には、見極められるものです。だから、もしそういう人が来たら、一歩退いて「私のところでは何もできませんよ」と言ってあしらう。で、もしその魔神と闘うのであれば、命懸けで拝み事をしないといけない。
安倍清明じゃないけれど、呪詛を掛けている相手の呪詛返しをしてでも祓える力がこちらにあれば、魔神を持つ人が何かした場合にも何とかなる。しかし、向こうはかなり強いでしょうから、何もできないことも多いです。まあ、そういうつもりでやらないとダメですね。
よく占いで「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言いますけど、あれは嘘です。本当にできる人は100パーセント、言えば当たる。だけど、それを言ってしまうのは悪いことなんですね。人に頼まれていないことを言ってしまうのは、今度は逆に宗教者として、自分の中に魔神を作ることになる。「行者のなれの果ては哀れだ」という言葉があります。人のいろいろなことが見えないほうが幸せだということが、普通の人は何でわからないかなと思いますね。
この本に掲載されていたすべての方のインタビューを、全部鵜呑みにした訳ではないけれど(中には眉唾に感じられたものも私にはあった)、この三名の方のインタビューには、共通するものがあった。それは自らの能力を誇示せず、そして本物であるということは自ら言わないということ。
さだまさしさんの『同行三人』の物語をふと思いだしたりした。
▼うわさの人物―神霊と生きる人々 (集英社文庫)