己の全ての悩みを神仏に差し出して

私のtwitterを見ている方はご存知だと思うのですが、私、最近かなりやさぐれていまして(笑)自分のタイムラインを見返しても、自分のことながら大丈夫かいな?と思ってしまう程だったりする。

こんな時には占いにでも行って、自分の気持ちを全然知らない人に吐露してしまいたくなる衝動に駆られるのだけれども、占い関係には懲りた経験もあるので、それはしないことにした。

やさぐれた気持ちの中で、積読本の中で手に取った本に面白いことが書かれていた。

『お坊さんのための「仏教入門」』という本だったので、仏教に関してマニアックなことが書かれているのかと思ったのだけれども、お坊さんが檀家さんや信者、そして参拝客から寄せられる答えに窮するような難問に回答のヒントを示唆するという本だった。

その中で、昔放送されていた「オーラの泉」という番組を例にして占い師が担っている役割について言及されていた。

女性と仏教というテーマを考えるとき、無視できないのが、先年、おおいにもてはやされたテレビ番組の「オーラの泉」的な要素です。

宗教の歴史を冷静にふり返ってみれば、すぐわかるように、宗教はつねにあの種の要素を抱え込んでいなければ滅びてしまいます。そうかといって、あの種の要素だけでいこうとすると、必ず堕落します。腐り果てて、宗教の本筋から外れてしまいます。ですから、話はとても厄介です。

よくされる批判に、あの種の要素は習俗とか習慣であって、宗教ではない、という論旨があります。しかし習俗となっているもの、習慣になっているものほど、強いものはないのです。ですから、あの要素をいかに取り込んで、いかにレベルアップさせていくか、が課題となります。

少なくとも、入り口は、間口を広くして低くしないと、人は入ってこない。それをきれいきれいに掃き清めてしまうと、人は入ってこないのです。ハードルが高くなっても、誰もついてこないのです。

こう見てくると、伝統仏教界だけが、いまだに男性中心です。これはもやや旧態依然といってよいのかもしれません。

このままでは、たとえば、若い女性が悩んだときに、相談に行く場所になれません。だからさきほどお話したとおり、占い師が大きな受け皿になって、大成功しているのです。

つまり悩みごとを抱えて、占い師のところに行く層は、受け入れ条件さえ整っていれば、お寺に相談に出かけた層かもしれないのです。

ですから、この種の相談事は女性僧侶の仕事であり、むしろ独壇場といってよいと思います。そして、その際、オーラの泉的な話から入っていくのも悪くない選択だと、私は考えています。

確かに悩んだ時に誰かに話を聞いてもらいたい、という場合、「そうだ、お寺に行って、お坊さんに話を聞いてもらおう!」とは思わないだろうし、檀家さんや信者さんではない、一般の人のお話を聞いてくれるような寺院というのも(私が知らないだけなのかも知れないけれども)ごく限られたところでしかない。

逆に言えば、良い占い師というのは僧侶をも凌駕した存在なのかも知れない。

って、私自身はそんな占い師に遭ったことは無いんですが(笑)

私が出来ることは、生身の人間に頼らず、己の全ての悩みを神仏に差し出して、そこから得たひらめきを実行するのみだということです。

ある種、オーラの泉的ですな。

お坊さんのための「仏教入門」

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