今週も御多分に漏れず忙しい日々を過ごし、会社の飲み会では疲れたところにアルコールが入ったこともあり、普段不満に思っていたことを他部署の方にぶちまけてしまうという失態を犯してしまう。。。
溜まった思いは吐き出した方が良いとその方はおっしゃって下さったけれども、結局愚痴を吐いてしまったということ~仏教においては貪瞋痴という心の三毒を自分の心から無くすことが大切なこと~だと言うのに、その基礎が全く出来ていない己を恥じつつ、自己嫌悪に苛まれながら週末を迎えてしまった。
この週末もどこかに行こうと考えていた訳ではなかったけれども、今朝目が覚めたら、何故か成田山東京別院 深川不動堂に行かなくてはならないような気になった。
今日は18日ということで、観音様のご縁日なのに、何故お不動様のところに?とは思ったけれども、やはり行きたいと思ったところは呼ばれているということなのだろうと思って、久方ぶりにお伺いしました。成田山東京別院 深川不動堂。
成田山東京別院 深川不動堂
こちらにお伺いするのは、ほぼ1年半ぶり。
手水で清めようと思ったら、手水付近も以前お伺いした時とはちょっと違ったカンジになっていて
手水近くにあった深川龍神も立派なものとなっていた。
前来た時って、こんなカンジだったっけ?とその整備されている様に驚きを隠せず、次の御護摩の時間が11時だということで、本堂へと向かう。
旧本堂へ靴を脱いでお邪魔する。
旧本堂正面には「おねがい不動尊」という国内最大級の木造不動尊像がある。
まずはこちらで再びお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして本堂に向かい、不動明王様にお参りさせていただいた後に、お不動様が良く見える場所に座り、御護摩を待つ。
こちらの本堂は旧本堂から降るような格好の場所にある。
降った先には護摩壇があり、その後ろは畳敷きとなっているのだけれども、降る部分はベンチのようになっていて、正座をしなくても座れるようになっているので、特にこちらの信者でも無い私は、ベンチに座らせていただいた。
11時前には、軽く見積もっても二百人以上の人が収容できるのではないかと思われる本堂内は参拝客で満ち溢れていた。
そして御護摩が始まる前に、お坊さんによる不動明王様の御真言のレクチャーがあり、ほら貝の音と共に、御護摩が始まった。
深川不動の御護摩は、迫力に満ちている。
ほら貝の音もさることながら、太鼓の音が凄まじく、この太鼓の音に身を浸すだけで浄化作用があるのではないかと思われる程だ。
そして中盤、自身の鞄も火加持していただいて、席に戻り、般若心経を唱え、お不動様の御真言を一心不乱に唱えていたら、悲しくも無いのに、何故か涙があふれ出てきた。
自身の中の、何かが、お不動様のお力に感応したのだろうと思い、更に有難くなり、涙が止まらない状態となってしまった。
そして御護摩が終了し、僧侶の方から、東日本大震災、そして西日本豪雨の被災者の皆様に深川不動堂でも微力ながら寄付しているというお話があり、募金箱に気持ちだけでも、ということだったので、私も微々たる金額を収めさせていただいた。
その後お願い不動尊様のところにお伺いすると、この日は御護摩の後に、お願い不動尊様に直に触れられる日だということだったので、有難くお願い不動尊様に触れさせていただいた。
この日は七五三の御祈祷のご家族も沢山いらっしゃったので、堂内をくまなく巡るということは難しかったので、その後、4階にいらっしゃる大日如来様のところにお伺いした後、深川不動堂を後にした。
そして前々から気になっていた法乗院(深川えんま堂)に向かう。
法乗院(深川えんま堂)
こちらは日本最大の閻魔大王座像があるということで気になっていたところでもあり。
えんま堂に到着。
そしてお参りさせて頂いた後に、自身の祈願に該当するところにお賽銭を入れる。
すると、閻魔様からのお言葉を直接聞けるという画期的システムが導入されている、ハイテク寺なのだった。
今回、私がいただいた言葉と言えば、感謝の気持ちが足りない、プライドを捨てよ、というものだった。
確かに、仰る通りでございます、と思いながらも、それが一番難しいんだよな、とも思ったのも事実。
帰路の途中、本屋さんに寄って『人生の勝算 (NewsPicks Book)』という本を購入した。
すると、今回の答えの様な文章に出会う。
どんなビジネスであれ、そこに人間が介在する以上、コミュニケーションが必要です。そして、コミュニケーションに求められることは、シンプルです。
相手の立場に立つことです。
スキルよりも愛嬌。自分が何を与えたいかよりも、相手が何を欲しいか、こういった視点は、SHOWROOM配信者に求められるスキルにも、もちろん共通していますし、良いサービスや事業を作る上でも、まったく同じだと思います。
~『人生の勝算 (NewsPicks Book)』より引用
今まで、一人で何でもできると思ってきた、その思い上がりが現在の状況を招いていたのだろう。
どのような才覚があっても
個人はただ歴史に呑まれていく一塊に過ぎない
縄を綯うように、
多くの力を合わせて、一本の道となっていくのだ
己を守るだけの、ちっぽけで下らないプライドなんぞは捨ててしまえ、と。