耳を澄ませば~京都・大原 来迎院にお伺いしました

大原三千院を後にして、バス停に戻ろうかと思ったら、来迎院への案内版を見かけたので、そちらの方に歩いていくと、良忍上人絵伝というものを見かけた。

私は不勉強なので、この良忍上人というお方の存在を知らなかったのだけれども、

良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? – 天承2年2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。

尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年(1072年)説もある。

比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し(寂光院も良忍による創建説がある)、また分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させた。

Wikiより引用

声明業中興の祖と言われているお方だということだった。

ふらふらと呼ばれるように、訳の分からぬまま、幾分勾配のきつい坂を登ると来迎院の山門が見えた。

来迎院

拝観料を支払い御朱印帳を預け、中にお邪魔する。

境内には参拝客の姿は無く、しん、と静まり返った世界がそこには広がっていた。

そして本堂の姿が目に入った。

歴史を感じさせる趣のあるお堂なのだけれども、とても光輝くものを感じた。

そして靴を脱いでお堂の中にお邪魔すると、そこには光輝く薬師如来様のお姿があった。

思わずひれ伏したくなるような圧倒的な存在感にも関わらず、慈悲に満ちたそのお顔を拝見しただけで、有難い気持ちで一杯になった。

こちらにお招きいただいたことに感謝して、丁寧に祈りをささげた。

外陣には元三大師様の画像などもあり、またまたひれ伏したいような気持ちで一杯になる。

そして聖応大師良忍上人の御廟へと向かう。

本当に誰も居ないことが不思議だった。

それが故に、その静けさの中に響く、聞こえないけれども聞こえるような、不思議な音波のようなものが流れているような気になってしまった。

本堂を離れたくないような気持ちになり、しばしその姿を目に焼き付けていた。

そして受付で御朱印帳をピックアップした際に、こちらのお寺が耳にご利益のあるお寺だということをお伺いした。

声明の発祥の地であることということを考えれば、そういうご利益があるのは当然だとは思うのだけれども、この地を満たしている人の清らかな想いというものが、そういったご利益をもたらすのではないかとも思ってしまった次第でございまして(あくまでも個人的感想なので、参考にしないでくださいまし)

来迎院を後にして、バスに乗り京都駅に戻る。

そして新幹線に乗って、東京まで戻る。

今度、何時京都に来れるのかは分からないけれども、今度大原にお伺いする時には、一日かけてゆっくりと散策したいと思える程、大原というところは私にとって癒しに溢れた良い土地でした。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.