結局雨によるバスの遅れで、法隆寺に到着したのは午後2時過ぎだった。
けれども法隆寺へ向かおうとしている道すがら、観光バスが何台も法隆寺を離れるのを見たので、団体さんの居ない良い時間帯にお伺いすることが出来たのだと思う。
南大門へと続く真っ直ぐな参道を歩く。
そして法隆寺の南大門前に到着した。
南大門
法隆寺にお伺いしたのは今回が初めてだったけれども、予想をはるかに超える程の広い境内から醸し出されるその雰囲気は、世俗から切り離れた世界のように感じてしまった。
まずは手水で清めて
拝観受付へと向かう。
そして西院伽藍の中に入ると、金堂、五重塔の姿が見えた。
まずは奥にある大講堂にお参りさせていただくことに。
大講堂には薬師三尊像と四天王像がお祀りされていた。
そして金堂にもお参りさせていただく。
金堂は法隆寺の御本尊が安置されている聖なる殿堂ということで、釈迦三尊像などの仏様がお祀りされているのだけれども、周囲の壁面には世界的に有名な壁画(金堂壁画)がある。
その壁画の絵葉書が大講堂内の売店で販売されていたので、思わず購入してしまったのだけれども、見ているだけで何故か心落ち着くものだった。
そして西院伽藍を後にして、次に向かったのは聖霊院。
近くの手水でこれまた清めさせていただく。
鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像を安置するために、東室の南端部を改造したのが、聖霊院だと言う。
そしてこちらで御朱印がいただけるということで、お参りさせていただいた後に、御朱印を頂戴した。
法隆寺の御朱印を書かれている方はとても丁寧な対応で、御朱印の意味「以和為貴~和をもって尊しと為す」についてご説明いただくことが出来た。
協力、協調、協和が大事であると言う意味のこの言葉は、本当に深いものがあって、誰かに「協力」するということは、実は己の力を「強力」にすることでもあるのかも知れない、なんて思ってしまったりして。
今回は、漢字の深さという物を学んだ旅でもあった。
薬師寺の説法にせよ、ブログには書かなかったお寺でも、漢字というものが示しているその本当の意味を理解することの大切さについてお教えいただいた。
私はまだまだ勉強不足だと思うと同時に、それを嘆くのではなく、勉強する時間を捻出していかなければならないのだと思う。
人生なんて、ホント、あっと言う間だから。
そして聖霊院を後にすると、句碑が目に入った。
それは、正岡子規の有名な俳句
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
の句碑。
その句碑を目にして思い出したのが、昨年鎌倉の建長寺にお伺いした際に目にした夏目漱石の俳句の案内だった。
昨年建長寺にお伺いした際には、約半年後に法隆寺にお伺いすることとなるとは露知らずにお参りさせていただいた訳だけれども、何かのご縁に導かれてこうやって法隆寺で正岡子規の句碑を目にするということ、即ち人生というものは、映画や小説のように、気付いていないだけで、実は至る所に伏線が散りばめられるのかも知れない、なんて思ってしまった。