浄智寺から歩く事数分で、建長寺に到着。
鎌倉五山第一位ということで、とても広い境内。
総門前の駐車場にはツアーバスが何台も駐車されていた。
総門
こちらを潜ると右手に拝観受付があり、左手には朱印所がある。
御朱印帳を預けようかしらん?と思ったけれども、半僧坊で御朱印をいただく方は預けないで下さいといったような注意書きがあったので、参拝後に御朱印は頂戴することにした。
そして参道に目を向けると、その先にはとても立派な三門の姿が。
三門
写真ではこの迫力が伝わらないが残念なのだけれども、その迫力からしても、この門の下を潜れば心が清浄になると言われる三門の所以~三解脱門~が分かるような気がした。
なんでもこちらの門は、別名「狸の三門」と言われているそうで、三門建立の際に、このお寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと僧侶の姿に身を代えて住職の化縁(=人々を仏道に教え導くきっかけ)を助けて大活躍したという言い伝えによる、と建長寺でいただいたリーフレットには書かれていた。
そして三門右側先には鐘楼があり
鐘楼
案内版に目をやると
夏目漱石が建長寺について詠った俳句が掲げられていた。
正岡子規の「柿くへば~」は有名だけれども、それが夏目漱石の句を参考にしたということを初めて知った。
鐘楼の先には嵩山門。
嵩山門
建長寺はもともと禅道場であり、現在でもこちらの嵩山門の先に禅道場があるという。なので勿論一般は立ち入り禁止ということ。
建長寺について書かれた本には、こちらで修行されている雲水さん達は自給自足の生活をしていて、この道場の裏には畑があるということ、そしてお米は托鉢などで手に入れるということだけれども、一日に使って良いのは人数が何人いても五合だけ、ということが書かれていた。
そういった生活は不自由だと思えば不自由だとも言えるし、自由だと言えば自由だと言える。
それこそ、自由という言葉が「他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うこと」という意味だとするのならば。
そして仏殿に辿り着いた。
仏殿
こちらには地蔵菩薩さまがいらっしゃる。
何故かお堂の前にはフクロウの像も。
お堂の中にお邪魔すると、それは年月を重ねてきた地蔵菩薩様のお姿があった。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして仏殿の後ろにある法堂へ。
法堂
中にお邪魔させていただくと、天井には雲龍図。
昔行った京都の妙心寺で雲龍図を見た時のことを思い出してしまった。
そしてこちらには千手観音様、そして釈迦苦行像が祀られていた。
私もそれなりにお寺にはお邪魔しているつもりだったけれども、こういった姿のお釈迦様のお姿を見たのは初めてだったので、そのお姿を見て衝撃が走ってしまった。
お釈迦様は苦行の末、求める答えが苦行では見出せないことにお気づきになったという。
このお姿を見て、これだけやればこれだけのものが、という取引の考え方について改めて考えてしまった訳でして。
自己満足では、世界を変えることは出来ないということを改めてお教えいただけた。
それは、自分への戒めでもある。
そして唐門方面へと歩みを進め
唐門
方丈へとたどり着く。
方丈(龍王園)
こちらは毎週金曜日と土曜日に座禅会が行われる場所であり、お伺いしたのが丁度土曜日ということもあって参加してみたい気持ちになったけれども、午後5時からの開催ということで、今回は諦める。
そして方丈の背後にある庭園に。
こちらでも腰かける場所があったので、そちらに座り、しばし時を忘れて庭園を眺めていた。
こういう、ある意味何も生み出さないという時間というのは、本当に必要だ。
こういう場所で何も考えずに、ぼーっとしていることも、ある種の瞑想なのではないのだろうか。
不必要なものを手放す、そんな時間。
ある程度の時間、庭園で過ごして、方丈を後にする。
そして、半僧坊と言われる場所を目指す。
ガイドブックなどでは、建長寺の鎮守であり、烏天狗の像が立ち並ぶ、と言った程度の情報しか記載されていない場所だったので、そんなに期待していなかった場所だったというのが正直なところだった。
けれども、ところがどっこい、ここが今回の北鎌倉散策の中で自分の中でベストポイントと言える位、本当に本当に良い場所だったのだった。