比叡山から京都市内のホテルに戻り、荷物をピックアップした後に奈良に移動。
そして旅は3日目の朝を迎えた。
当初は吉野に行こうと考えていたけれども、当日朝の天気予報は昼過ぎから雨と告げていた。
観光地とは言えども山の天気をなめてはいけないということで、吉野行きはあきらめ、お伺いしたことのない奈良の有名な仏閣に行く事にした。
まずは奈良駅から唐招提寺へ。
奈良駅からバスに揺られること20分程度で唐招提寺に到着。
唐招提寺
開門の8:30前に到着したので、参拝客の姿はそれほど多くなく
南大門の拝観受付で拝観料を支払い、境内にお邪魔した。
少し歩くと御朱印についての案内があったので、
まずは金堂でお参りさせて頂いた後に、御朱印所で御朱印をいただくことにした。
金堂
こちらには千手観音菩薩さまがいらっしゃるのだけれども、こちらの千手観音菩薩さまの御手は本当に手が1000本近くあるということで有名らしい。
本当に手が1000本近くある千手観音菩薩さまがいらっしゃるお寺と言うのは数少ないということで、奈良に行くのならばレアな千手観音菩薩さまがいらっしゃる唐招提寺に行くと良いわよーと、奈良好きの方に言われていたのだけれども、正直私は美術品を観賞するように仏像を見ることにはあまり興味が無い。
それよりもその仏像を造ったり、お祀りしようと祈った人々の想いというものの方に興味を抱いてしまう訳でして。
けれども実際にそのお姿を拝見すると、その1000本近い手からは、人々を救おうとしている慈悲の心がありありと感じられて、思わず拝まずにはいられなかった。
そして御朱印所で御朱印を頂戴しようと思ったら、千手観音立像の背中にある光背を描いているという青色の御朱印帳が目に留まり、その美しさの余りこちらの御朱印帳をいただいてしまった。
御朱印帳と御朱印をいただきたい旨伝えると、その場で御朱印を書いていただけたので、待ち時間というものはほぼゼロだった。まぁこれは、参拝客が少ない時間帯にいただいたことも関係しているのだとは思うけれども。
そして境内を散策する。
経蔵
礼堂
宝蔵
鼓楼
こちらが唐招提寺と言えば有名な「うちわまき」でハート型のうちわが投げられる場所なのかぁと思いつつ。
そして講堂に到着。
講堂
東宝
そして開山堂を経由して御影堂へお伺いすると、生憎の工事中、、、
そして鑑真和上御廟へと到着した。
鑑真和上御廟
門を潜ると、雰囲気がとても厳かなものに感じられた。
手水で清めて
御廟にお参りさせていただいた。
鑑真和上は
鑑真和上は六八八年に中国揚州で誕生、十四歳の時、揚州の大雲寺で出家されました。二十一歳で長安実際寺の戒壇で弘景律師に授戒を受けたのち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称えられました。七四二年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されましたが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となられました。しかし和上の意志は固く、七五三年十二月、六度目の航海で遂に来朝を果たされました。
~唐招提寺 リーフレットより引用
というお方である。
こちらにお参りさせていただくと、その不屈の精神というものをありありと感じることが出来、こうやってお参りさせていただけることだけでもありがたく感じてしまう程だった。
唐招提寺の後にお伺いした薬師寺でも三蔵法師様について学ぶことがあったのだけれども、三蔵法師様からも不屈の精神をお教えいただけたこともあり、今の自分にとって必要なものは、何事にも負けないこの精神なのではないだろうか、などと感じてしまった。
そして御廟を後にすると北原白秋の歌碑が目についた。
そして御影堂供華園が公開されているということだったので、そちらに向かう。
瓊花(けいか)
可憐な花に顔を近づけると、ほんのりと優雅な香りが漂ってきた。
その控えめだけれども、香しい香りは先ほど見た北原白秋の石碑の「白う匂はむ」という言葉を連想させ、とても清浄なものを感じてしまった。
ちなみにこの瓊花(けいか)は、日本でも限られた場所にしか無い貴重なお花だと言う。
早朝ということもあってか、騒がしい観光客などが居なくて、ゆったりと境内を散策出来た。
醍醐井戸周辺にも誰も居なかった。
醍醐井戸
こちらでもお参りさせていただいたのだけれども、その力強さに圧倒されてしまった、と言うのが正直なところだった。
そしてはす池沿いに歩いて行く。
菖蒲の花が咲き始めといった頃合いで、その美しさに思わずパチリ。
そして戒壇に到着した。
戒壇
僧になるための授戒が行われる場所ということで、こちらも一種独特の雰囲気に満ち溢れていたところだった。
その後新宝蔵にお伺いして
拝観料を支払い、中にお邪魔する。
こじんまりとしたその中には、多くの仏像が収められていて、「唐招提寺のトルソー」と呼ばれている如来形立像などを見る事が出来る。
ほとんど人が居なかったのも功を奏したのかも知れないけれども、その中は仏様のお慈悲に満ちた空間のように感じてしまい、心ゆくまで仏様と対峙することが出来た。
今回の旅は弁天様にご縁があるらしく、目立たない場所に御鎮座されていた弁天社にもお参りさせていただいた訳だけれども
弁天社
またまた厳しいお言葉を頂戴して、己の器の小ささを甚く反省するのみなのでした。