法話を拝聴した後、食堂で食堂御本尊「阿弥陀三尊浄土図」を拝観させていただき、玄奘三蔵院伽藍へと向かった。
玄奘三蔵院伽藍
先ほど拝聴した法話の中でも玄奘三蔵院伽藍についてのお話があったのだけれども、こちらには玄奘三蔵様のお骨がお祀りされているという。
なんでも南京に駐屯していた日本軍が、土中から玄奘三蔵様のご頂骨を発見し、戦時中だったことから埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安されたものが、その後ご縁で薬師寺にも分骨され、玄奘三蔵院伽藍が建立されたという。
埼玉県に玄奘三蔵様のご頂骨があるなんて知らなかった私は、その話を聞いてびっくりしてしまったと同時に、機会があればお伺いしてみようと思った。
薬師寺にお伺いする前に読んだ『薬師寺・好胤説法』の中にも玄奘三蔵様についての記述があった。
いよいよ玄奘三蔵はこうした苦しみを覚悟して出発を決意し、仏さん達の前にお出ましになり、一人、お堂で仏さまとお約束をなさるんです。
「私は仏法のためにインドへ修行にまいります。一人でまいります。仏様、どうか目に見えるおかげ、目に見えないおかげ、私にご加護を賜りますように」
ということを、仏さんの前でそれぞれの作法をして、お願いされました。
「その代わり、私は自分の目的を達成することなくんば、二度と国へは帰ってまいりません」
国に帰ってまいりませんということを、どう表現されたかと言うと、「東に向かっては、一歩半歩たりとも足を運ばない」
インドは西です。西向いて行ったらインドです。で、東向いて歩いたら祖国へ帰る。ですから東に向かっては一歩たりとも歩みは致しませんと。それが『不東』というんです。東セズと書いてある。
玄奘三蔵の仏法者として生涯を貫かれた精神が「不東」というんです。で、結果的に申しますと三万キロを超えて、自分の足で大地を踏んだご旅行でありました。一人に人間が三万キロを超えてですよ。
玄奘三蔵の前にそんな人はおられません。玄奘三蔵の後にもそんな人はおられないんです。
~『薬師寺・好胤説法』より引用
玄奘三蔵院伽藍では書置きの「不東」の御朱印がいただけるのだけれども、その御朱印に描かれている玄奘三蔵様のお姿に感慨深い思いでいっぱいになった。
そして大唐西域壁画殿で、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」を観賞したのだけれども、一見の価値ありと思える程、写真では表現することの出来ない美しさが秘められていた。
玄奘三蔵院伽藍は年間を通して拝観出来る場所ではないということで、今回こちらにお参りさせていただけたことに感謝せざるを得なかった。
再び白鳳伽藍に戻り、不動堂や
不動堂
白鳳伽藍内に御鎮座されているお社に参拝させていただき
龍王社
平木大明神
弁財天社
若宮社
そして南門から薬師寺を後にした。
薬師寺は素敵なところだった。
出来れば御写経もしたかったけれども、この後、もう一箇所お伺いしたいところがあったので、御写経は出来なかった。
またお伺いするか、薬師寺東京別院にお伺いするなりして、是非とも薬師寺で御写経をさせていただこうと思った。
