今回の旅行の最終地は金峯山寺。
2014年に初めて金峯山寺の御開帳にお伺いして以来、ご縁があるようで結局それ以来、毎年春の御開帳の時期には参拝させていただいているところだったりする。
今年もエコバッグとお札をいただき、靴を脱いでお堂の中へとお邪魔した。
お堂の中は写真撮影NGなので写真は無いのだけれども、日本最大秘仏と言われている金剛蔵王権現様3体のお姿を見るだけで、有難く感じてしまうのだった。
今年もお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。そして発露の間に移動して、蔵王権現様と対峙してお話させていただく。
昨年の参拝以来、これまでに起こった出来事が走馬燈のように駆け巡り、自身の至らなさや愚痴が多かったことに対して反省することしきりだった。
そして発露の間は、まるで懺悔室のようだと思いつつ、その至らなかった私を見捨てないでお守りいただけたことに、有難さのあまり、やはり悲しくも無いのに涙が止まらなくなっている自分が居た。
その後11時から御護摩があり、誰でも参列出来るということで今年も参列させていただいたのだけれども、御護摩が終了して、お坊さんからのお話があるという際に、ちょっとした出来事があった。
詳細は書かないけれども、その出来事は人の「我良し」の醜さを感じてしまったことと同時に、その出来事があったからこそ、そうなってはいけないのだという戒めの啓示のようにも感じてしまった。
そして蔵王堂内にいらっしゃる仏様に祈りを捧げ、蔵王堂を後にする。
御朱印をいただこうと思ったら、今年は「御朱印受付処」なる場所が出来ていて、そしてこの時期にしか受けられない御朱印があるということだった。
そろそろ吉野を離れなければならない時間が迫っていた。
来年もまた、お伺い出来るのだろうかと思いつつ
金峯山寺を後にした。
4時間程の短時間での参拝だったけれども、やはり吉野に来てよかったと思った。
そして奈良に戻り、奈良駅から伊丹空港へと向かうバスに乗る。
バスを待っている間に空を見上げると、龍を思わせるような雲が棚引いていた。
バスに乗車している間も空を見上げると、同じように龍を感じさせる雲。
弁財天様のお姿は琵琶を持った女神としてあらわされることが多いけれども、もう一つは龍体であらわされることもあるという。
今回の旅は弁財天様のところにお伺いすることも多かったので、最後の最後にこういう雲を見せていただけたのかと思いつつ。
今回の旅は、弁財天様に多くお伺いしたこともあって、厳しいことが多かったけれども、この旅の後の気付きというものがとてつもなく大きいものだった。
そしてその気付きは、それまでの自分の考え方や行動すら変えてしまうものだった。
旅と言うものには、それほどの力がある。