今回京都では烏丸御池駅近くのホテル(モントレ京都)に宿泊した。
去年もモントレ京都には宿泊した訳だけれども、その時には近くに六角堂があると分かっていながらも、お伺いすることが出来なかった。
けれども今回は、旅行前に築地本願寺にお伺いしたこともあり、親鸞様とゆかりの深い六角堂に行ってみようと思い、朝ホテルを出て六角堂へと向かう。
と言っても、モントレ京都からは至極近かったことに今更ながら気付いた(笑)
モントレ京都前の信号を渡ってすぐのところに鐘楼堂があり
鐘楼堂とは道を挟んで少し歩いたところに紫雲山頂法寺『六角堂』はあった。
紫雲山頂法寺『六角堂』
こちらは聖徳太子が四天王寺建立の用材を探してこの地を訪れた時のこと、清らかな水をたたえた池を見つけて、沐浴をするため池のほとりの木に念持仏を掛けておいたところ、仏像が木から離れなくなってしまったので、六角の堂を建て仏像を安置したのが、こちらのお寺の始まりだと言われている。
境内にお邪魔すると、辺りにはビルが林立しているというのにも関わらず、とてもふんわりとした雰囲気が漂っていて、それだけでこちらのお寺がすごいところだということが分かった。
まずは手水で清めて
本堂(六角堂)にお参りさせていただく。
お堂内にはおびんずる様や
金箔に包まれた仏様がいらっしゃった。
本堂前でお線香とろうそくを手向けた後、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
観音様のお優しさや慈悲の心があふれ出ているようなその空間は、観音霊場と言うのに相応しい力に満ちていて、何で昨年にお伺いしなかったのだろうと自分自身の愚かさを後悔する程、素敵なところだった。
朝早い時間と言う事もあって、参拝客の姿もさほど居なかったのも影響しているのだとは思うけれども、このお優しさに満ちた空間に足を運べたことに感謝せざるを得なかった。
それ程、本当にこちらの観音様はお優しい。
そして境内を散策。
今回六角堂にお伺いした目的の一つの親鸞堂に向かう道すがら、いらっしゃったのは何とも可愛いお地蔵様。
一言願い地蔵
一つだけ願いをかなえてくれるというそのお地蔵様は、首をかしげていらっしゃり、願いをかなえてあげようかどうかと考えている姿だと言う。
更に歩みを進めると親鸞様のお姿があった。
親鸞様が比叡山での修行時代、比叡山から毎夜六角堂本堂に通い、95日目に六角堂の御本尊様から「法然様のところに行け」という示告を受けたという。
この像のお姿は六角堂本堂に参籠され、又再び比叡山にお帰りになろうとされている姿だと言うこと。
このお話からも六角堂の御本尊様の凄さというものを実感しつつ、親鸞堂でもお参りさせていただいた。
親鸞堂
親鸞堂を少し進むと、鳥居が見えたので、こちらでもお参りさせていただいた。
唐崎社
こちらの御祭神の唐崎明神様は唐崎神社の神様で、日吉神社・比叡山とも縁の深い関係があるという。
その隣にはお稲荷さんが御鎮座されていた。
こちらのお稲荷さんは、嫌なカンジは全くしなかったので、こちらでもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
神社仏閣に早朝にお伺いするというのは、とても気持ちが良い。
参拝客の姿がさほど無いというのもあるのだろうけれども、その一日の始まりを神様や仏様に捧げることによって、自身が満たされる気持ちになれることも大きい。
本堂の六角堂を回るような格好で歩いていくと、
太子堂に辿り着いた。
太子堂
こちらは聖徳太子をお祀りしたお堂だと言う。
正直これまで聖徳太子様ってあまり意識したことが無かったのだけれども、今回の旅はその後法隆寺にお伺いしたこともあって、聖徳太子様の偉大さに気付くことが出来た旅だった。
それまで興味が無かったことでも、ふとしたきっかけでお伺いしたところが、その後の人生に大きな影響を与えるということもある訳でして。
そして六角堂本堂の裏側に差し掛かると、多くの仏様のお名前が書かれていることに気付き
その下の小窓を覗くと、多くの仏様がお祀りされていたので、こちらでもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
六角堂には多くのお地蔵様がいらっしゃって、スタバがある池坊会館近くにも北向地蔵様や
わらべ地蔵様などがいらっしゃった。
そして最後にお参りさせていただいたのは、不動明王様。
木像の不動明王様もいらっしゃるのだけれども
石像の不動明王様もいらっしゃる。
石不動
こちらの不動明王様はとても優しかった。
六角堂。
京都でもビルに囲まれた中心部にあるお寺だということで、正直あまり期待はしていなかったのだけれども、予想に反して、柔和な雰囲気に満ち溢れた良いお寺だった。
ずっと佇んで居たくなるような、そんな気持ちになれるとても素敵なところ。
明日の朝もこちらにお参りさせていただくことを心に誓って、次の場所へと移動した。