人生は山登り~高尾山山頂から小仏峠まで

薬王院でのお参りを済ませて、高尾山山頂に到着。

当初雨の天気予報だったけれども、ここまで雨に降られずに来られた。

なので富士山は見られなかった訳だけれども、それでもここから眺める風景はキレイ。

そのまま薬王院に戻って下山しようと思っていたけれども、何故か足は小仏の方へと向かっていた(爆)

高尾山山頂にはそれなりに人は居たのだけれども、ここから小仏方面へ向かう人の姿は少ない。

おまけに雨の天気予報と言う事もあって、昔高尾山から小仏へ向かった時とは比べものにならない位の人の少なさだった。

なので、殆ど人の居ない中、高尾山の紅葉を満喫出来た。

ただ、足元は数日前に降った雪の影響で、とてもぬかるんでいたけれども(爆)

人と同じことをやっていては、人と同じ経験しか出来ない。

最近読んだ本『成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)』という本の中にも

Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)

と言う言葉があって、私はこの言葉がとても印象に残ったのだけれども、それは商売の世界だけではないと言う事か、と思いながら、ほぼ貸し切り状態の山中を歩いた。

高尾山山頂から小仏峠までは、とても楽に歩く事が出来た。

普段は駅の階段を登るだけでもしんどいなぁ、と思ってしまうのに、天狗さんのいらっしゃるお山にお伺いすると、誰かが後ろから押してくれているような感覚になり、普段では考えられない位、ラクラクと歩くことが出来る。

まぁこれは、私だけが感じていることではないとは思うけれども。

そしてテクテク歩いていたら、一丁平にさしかかった。

一丁平

ここから眺める風景はとても美しく、晴れていたらさぞかし美しいのだろうと思ったりした。

そして城山茶屋が見えてきた。

城山茶屋

ここに来たのならば、是非とも食べて欲しいのがなめこ汁。

なめこ汁

こちらのなめこ汁は醤油ベースということもあって、あっさりしていてとても美味しい。隣にあるビールは気にしないでください(笑)ちなみにビールを頼むと柿ピーもついてきます♡

と、城山茶屋でビール休憩していたら

猫さんにじーっと見られていた(爆)

城山茶屋の片隅には、素敵なお顔のお地蔵さんもいらっしゃり、思わず手を合わせてしまった。

そしてエネルギー補給完了の後、小仏峠を目指す。

静寂の中、一人お山を歩いていると、ここが都心から1時間程度の場所とは思えない位だった。お伺いしたタイミングもあるのだとは思うけれども、こうやって辺りに何も無い中、一人で歩いていると、本当に人間というのはちっぽけな存在で、自然によって生かされているということをありありと感じることが出来る。

けれども、そのちっぽけな存在でも、無くてはならないものだということを、お山の中を歩いていると、木々や石が教えてくれる。

その存在が必要であるからこそ、その場所に居るのだという事。

そして、必要でなければ淘汰する位の力を、自然即ち神は持っているということも。

相模湖が見渡せるところに到着すると、こちらには名もなき祠があった。

そして小仏峠に到着。こちらには明治天皇聖跡碑とお地蔵さんの姿があった。

小仏峠

小仏峠というのは

1569年(永禄12年)に武田信玄が関東地方へ遠征した際、別動隊の小山田信茂は甲斐国大月から八王子に向かった。これを迎え撃つ滝山城の北条氏照は、当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して戸倉城などに兵を派遣している。

しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった(廿里の戦い)。その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国を結ぶ要路となり、滝山城の機能は新設の八王子城に転換し八王子の地名の由来となった。廃城の後は関所が置かれた。特に富士参詣の行者がここを越えることから、富士関とも呼ばれていた。

江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、小仏関が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更された。

これによって小仏峠を通る通行者は激減した。一方、地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、直線的なルートが望まれる中央自動車道とJR中央本線は、小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた。

Wikiより引用

というところだったりする。

こちらにあった案内図を見ても歴史を感じさせるものがあり、この一帯を歩いてみてもいろいろな発見がありそうだなぁと思った。

そして小仏峠から少し歩くと、ハイカーの皆様にはお馴染みのタヌキの置物。

そしてお地蔵さんがいらっしゃった。

ここから小仏バス停へと向かう。

神社仏閣巡りが趣味になる前に訪れた際にも感じたのだけれども、小仏峠から小仏バス停までの道は、とても水を感じさせるところだったりする。

ちょっと歩くと、水のせせらぎの音が聞こえてきた。

本当に自然の水の音というのものは癒される。

そして水場があり、丁度空のペットボトルを持っていたので、こちらでお水を汲んで持って帰ることにした。

山を下っていると、段々寂しい気持ちになってきた。

やっぱり山登りと言うのは、人生に似ているような気がしてきて、山を登っている最中は何時になったら山頂に辿り着くのだろうという想いで一杯だったりする。そして汗を掻きながらも自分の肉体を駆使して、山頂に辿りついた時の爽快感と言うものは何物にも代えがたいものがある。

けれども、ずっと山頂に居られる訳ではないので、下山しなくてはならないのだけれども、山を下り、山の麓に近づくにつれ、この素晴らしい世界とも離れることになるのかと思うと、下山したくない気持ちになってしまう。そして人々はまた素晴らしい世界を体験したくて、何度も山に登ってしまうのではないかと。

人生というのも、山登りのように登っている最中には苦行と思えることもあるかもしれないけれども、生きていることによって生み出される幸せを感じたくて、輪廻転生という形で、何度も生まれ変わって、再び何度も違う人生という山を登っていくのではないのも知れない、ナンテ思ってしまった。

お山を後にして、バス停に向かう。

そして小仏バス停からバスに乗り、高尾山駅まで戻った。

半日ちょっとのミニトリップだったけれども、やはりお山の空気に触れたら、それこそ生き返っているように生き生きとしている自分が居た。

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