映画館へ足を運んだのは何年ぶりだろう?
昨日午前中、大手町にヤボ用があったので、ついでに神保町の岩波ホールで上映されている『大いなる沈黙へ』を見に行った。神保町に到着したのが、11:30頃だったので、一回目の上映時間は過ぎていた。なので、次の回、15:00からのチケットを手に入れようとチケット売り場に行ったら、長蛇の列&何故かテレビの取材の人たちが居た。
この行列が引くまでちょっと休憩しようと、コーヒーショップに行って休憩して、11:50頃に再び岩波ホールのチケット売り場に行ったら、長蛇の列とは言わないまでも、まだ行列は治まってはいなかった。15:00 or 18:30の回のチケットの販売の列です~、と岩波ホールの係りの方が来る人来る人に説明していた。
そして、15:00の当日券を入手出来た訳だけれど、会場が狭いのと、11:30の回が満員で入れ替えに時間がかかるので、14:30頃には岩波ホールに来た方が良いとの案内を受けた。
『大いなる沈黙へ』は混雑していると聞いていたけれど、お昼の段階で15:00 or 18:30の回のチケットを手に入れる為に行列が出来ているとは思わなかったので、びっくりしたと同時に、これだけ人々を魅了する映画とはどんなものなのだろう?と期待が高まった。
そして、15:00の間まで、お伺いしておかなければと思った靖国神社に参拝し、ランチを食べて、14:20頃に再び岩波ホールへ。14:30頃と言われたのに、ちょっと早すぎちゃったかしらん?とは思ったけれど、岩波ホールに到着してびっくり。もう既に多くの人が並んでいたのだった(爆)
そして、14:40頃に入場となったので、席を確保して『大いなる沈黙へ』のプログラム(¥700-税込)をゲットして、約3時間という長い映画なので、念のため御手洗いに行っておいた。
観客層としては、御年輩の方が多いかんじだったけれども、若い方もちらほら、そして修道服のシスターの方も数名いらっしゃったのが印象的だった。
映画が始まる。
と言っても、この映画は
グランド・シャルトルーズはフランスアルプス山脈に建つ伝説的な修道院。
これまで内部が明かされたことはなかった。
1984年に撮影を申請、16年後に扉が開かれる。
差し出された条件は音楽なし、ナレーションなし、照明なし
中に入れるのは監督一人のみ。
そして5年後、完成した映画は大きな反響を巻き起こす。
~『大いなる沈黙へ』チラシより引用
というもので、音楽やナレーションは一切ない。
これらは情報としては分かってはいたけれど、実際目の当たりにすると、いかに自分が普段音楽やナレーションという「音」に頼っていたのかが、認識できた。
けれども、スクリーン上には、一場面、一場面がまるで静物画のような美しさが広がっていた。
映画が始まってしばらくすると、自分の中の緊張感のようなものが薄れていって、次第に映画を鑑賞しながら、「今日の晩御飯は何にしよう?」などという雑念が湧いてきた。雑念を蹴り散らし、映画に集中しようと思うと、今度は前の座席に座っていたカップルがいちゃつき始めたのが目に入る。「この映画見ながらいちゃつくというのはナンナンダ!」という、別の雑念が自分を襲う(笑)
けれども、それらの雑念が通り過ぎたあとは、映像と自分との世界が広がっていった。沈黙の中で、自分が映像の世界と一体化すると、そこには大きなものがあった。それは、神の姿、といっても過言ではない、何か大きなもの、そんなものを感じながら映像に没頭していく自分が居た。
約3時間という長丁場の映画だけれども、瞑想が終わったあとのような感覚を映画鑑賞後に感じた。
盲目の修道士がこの映画には出てくる。そしてこの方が言った言葉が、とても胸に突き刺さった。
何が起ころうとも、心配することは何もないんだよ。
起こることはすべて、私たちの幸せのためなんだ。
私は盲目になったことをよく神様に感謝する。
死は、何もこわいことではないんだよ。
映画鑑賞後、テレビもつけなければ、ラジオも音楽もつけていない。
自分の回りに溢れている、自然の音を感じる。
今朝は鳥たちがおしゃべりしていた。そしてセミでさえも会話をしていることに気付く。
風の音、空気が変わる音、そして神様がささやく声。
全て聞こえないようにしていたのは、自分自身だったことに気付く。