國學院大學博物館からすぐのところに、氷川神社へと続く参道があった。
鳥居を潜ると、そこには拝殿があったので手水で清めてお参りさせていただいた。
こちらは相変わらず良い雰囲気の神社だったけれども、日曜日のお昼過ぎということもあったのか、社務所には御朱印を求める人々の姿や、境内には歴史散策しているようなグループの姿もあったので、そそくさとその場を離れた。
よくよく考えたら、前回こちらの氷川神社にお伺いしたのは3年程前になってしまっている事に今更ながら気が付いた(爆)
前回も恵比寿から徒歩でお伺いした記憶があるけれども、私は渋谷駅周辺がとても苦手だったりする。買い物にも行きたくないし、特にスクランブル交差点の辺りなどは、本当に歩きたくない。
ホント、一駅離れるだけで、空気感と言うものは全然違ったりするものなんでね、、、
まぁどの土地でもそういうものなんだろうとは思うけれども。
そして氷川神社から金王八幡宮へ。
前回(と言っても3年程前になってしまう訳だけれども)お伺いした時は、こんな神社が渋谷にあるなんて!とちょっと感動した場所でもあった。
今回もそのドキドキ感を期待して行った訳だけれども
なんとなーく、違う神社にお伺いしたような気分になってしまった。
雨のせいか、はたまた日曜日の午後という時間帯のせいかは、良く分からない。
ただ前回お伺いした時とは違った印象を受けたことは確か。
まるで別の神社にお伺いしたみたいな気持ちになってしまったりして。。。
何故なんだろうとは思ったけれども、こちらにお伺いしてから数日後、本屋さんで手に取った本に、金王八幡宮について『渋谷で長い時間を過ごす人は、この神社に行くことです』と書かれていたものを発見した。
内容を見て、購入すべき本では無いと感じたので、購入はしなかったけれども、その本のタイトルは人々の関心を誘うであろう『成功している人は、なぜ●●に行くのか』というものだったりした。
しかしながらその本の中で述べられている事例の人物などを見ると、神社に行ったから成功したのではなく、成功したからこそ、神社仏閣に沢山寄付などをして己の業を清算していたと思ってしまうのは、私が単なるへそ曲がりだからなんだろうか。
そもそも成功ってなんなんだろうと思ってしまう。
お金持ちになることが成功なのか、出世することが成功なのか、有名になることが成功なのか、成功の定義もはっきりとしていないのに、その成功という言葉の幻想に踊らされているのではないのだろうか?
そして、もし生きているだけで、成功しているのだと言われたら、それら成功を求めている人々は果たして神社仏閣に行くのだろうかと。。。
今回お伺いしたタイミングもあるのかも知れないけれども、そういう神社になってしまったのかも知れない、とちょっと寂しい想いに駆られながら境内を後にした。