かんべの里を後にして、キセキレイ1号(←借りたレンタサイクルに勝手に付けた名前ー笑)と共に、熊野大社へ向かう。
車だと10分程度で行ける場所らしい。
自転車だと40分位(笑)
神魂神社にお参りしていた最中から雨が降ってきたのだけれども、気にせずにそのまま熊野大社に向かって自転車を走らせていたら、雨が激しくなってきたので、途中、かんべの里の方のご好意で貸して頂いた雨ガッパを着用して、とにかく自転車を走らせる。
アップダウンの無い道なので、思っていたよりは辛くなかった。登山と比べたら、こっちの方が全然マシな訳で(笑)
しかし雨ガッパを着用していたとは言え、ほぼびしょ濡れの状態で、思わず禊か!と思ってしまう位でした(笑)
と、そんなこんなでたどり着いた出雲の熊野大社。
出雲國 一之宮 熊野大社
参道を歩くと見えてきたのが、よくネットなどで見る熊野大社の光景だった。
この近くにある駐車場から入ってくる人が多いから、この光景をよく見るのだろうと思ったりして。
八雲橋を通り抜けると再び鳥居。
境内図を確認して
手水で清めさせていただき(って、もう十分雨で清められたような気もしたがー爆)
手水舎
隋神門へと向かう。
隋神門
雨のせいか澄んでいて、とても良い神社だと思ったのが第一印象。
観光目的で来るお客さんが、ほとんど来ないような場所にあるのも良いのかもしれない。こういう神社、大好きだなぁー。
こちらは李家幽竹さんのご本でも、☆5つのパワースポットとして紹介されているお社なのです(出雲大社よりもレーティングが高かったりする)
☆☆☆☆☆熊野大社(島根県松江市)
人生に楽しみごとを与えてくれる陽の気を持つスポット。特に強力なのは金運で、女性の場合、玉の輿運をもらえます。目標や願い事のある人は、清らかな気持ちでお参りすること。縁が欲しい人は、授与所で縁結びの櫛を求めてお守りにして。
~改訂3版 絶対、運が良くなる旅行風水より引用
写真にもオーヴっぽいものが撮れたので、何だか歓迎されているような気になり嬉しい気持ちになる。
拝殿
拝殿でこちらにお招きいただいたことに感謝して、お参りさせていただいた。
よく来たねぇーと言われたような気分になる(笑)
しかし、いかんせん、雨の中を40分程自転車を漕いでいたので、ちょっと休憩したくなり、休憩所で休ませていただいた。
環翠亭
こちらは、参拝者の休憩所ということで、建物は昭和61年(1986)に、昭和天皇の御在位60年を記念する事業の一環として建てられたものだということだった。
中の壁には出雲神話や熊野大社の行事にちなんだ絵が掛けられていたり
休憩所横には池があったりと、ほのぼのとした雰囲気。
参詣者向けの休憩所がある神社というのは、とてもありがたいですよね。この時ほど、休憩所があって良かったと思ったことは無かったけれども(笑)
良い気の中で、しばし体を休めて、境内散策。
舞殿
稲田神社
伊邪那美神社
荒神社
戔嗚尊がお祀りされています。明治39年政府の神社整理「一村一社制」により熊野村内にあった多数の荒神、水神、氏神を明治41年に合祀しました。
相殿に祀られている三神は甘雨を降らし、霖雨を止める神との深厚な信仰があります。また、このお社の右横奥には「御神水」が湧き出ていて頂けるようになっています。
~出雲國一之宮 熊野大社 HPより引用
ということで。
御神水
柄杓ですくって一口いただくと、生き返るような気持ちになった(自転車漕いで来たのも関係しているかも知れないけれどー笑)
稲荷神社
そして、熊野大社にお伺いしたのならば、絶対見ておきたかったのがこちらだった。
鑚火殿
鑽火殿ってなあに?と思われる方の為に
意宇川(いうがわ)の上流に鎮座する熊野大社である。朱塗りの神橋をわたり、石段をのぼると、正面に拝殿、幣殿(へいでん)、その奥に大社造の本殿があり、左手に切妻、平入りの古代建築風の鑽火殿(さんかでん)などがある。
主祭神は現在素盞嗚尊(すさのおのみこと)とされているが、『延喜式』の出雲国造神賀詞(くにのみやつこかんよごと)では、熊野大社櫛御気野命(くしみけぬのみこと)としている。これは水と農業を司る神として、意宇川下流の豪族たちにとっても最も大切な神だった。『出雲国風土記』にも熊野大社としるされており、すくなくとも平安時代の初期までは、出雲国の一の宮として、出雲大社以上に人々の信仰を集めていた。
現在でも熊野大社と出雲大社の関係が残っているのが、毎年10月15日に行われる鑽火祭(さんかさい)である。火を鑽(き)り出すのに使う火鑽臼(ひきりうす)と火鑚杵(ひきりぎね)を熊野大社から出雲大社へ送り出す祭りである。出雲大社ではそれを使って11月23日の古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)の火をつくりだすのである。鑽火祭には出雲大社国造みずから臼と杵を受け取りに行くが、その際大きな長方形の餅を持参する。熊野大社側からは亀太夫という下級神職がでて、餅が去年より小さいとか、色が黒いとか難くせをつけ、出雲大社側と押し問答のすえ、この餅をうけとる。そして、かわりに臼と杵をわたすのである。この亀太夫神事は全国でも珍しい。
熊野大社の例祭は10月14日であるが、このほか4月13日には、素盞嗚尊が稲田姫に結納として櫛を与えたという故事にちなんで、摂社稲田神社に櫛を献納する御櫛祭(みぐしまつり)が行われる。
~水の都 松江 より引用
ということで、こちらのお社は、昔は出雲大社以上に人々の信仰を受けていたというところなのです。
そして出雲大社国造の代替わりの儀式である「火継式」では、熊野大社で儀式が行われているのです(ここら辺のことは第82代出雲国造の千家尊統様の書かれた出雲大社という本が詳しいかと思われます)
そして授与所で御朱印と、お守りをいただく。
こちらでも「良いお参りでした」とお声掛けいただき、とても嬉しくなる。
お守りは勿論、櫛守り。
このお守りは、すごい。
李家幽竹さんが勧めていたからという訳ではないけれども(笑)、実際東京に戻ってきてからこのお守りの袋を開けた時に、御神気が半端なく、ビリビリするものを感じたのだった。
まぁ、気のせいと思ってもらって良いですけど(笑)
拝殿は本当に美しい。
この場を離れることが名残惜しくなってしまって、しばし境内を見つめていた。
そして、また御縁があればお呼びください、と心の中で祈った。