出雲関連の本を本棚から引っ張り出して来たら、一冊の薄い本が出てきた。
2014年2月に宇佐神宮へお伺いする際に宿泊した中津の街で、ふと入った福澤記念館で購入した小冊子だった。
『ひびのをしえ』
これはもともと公表を意図したものではなくて、福沢諭吉が長男と次男の為に、日常、子どもとして心がけるべきことを、思い付くまましたためたものだったりするので、とても薄い小冊子だったりする。
久しぶりに手にしたその小冊子の内容も忘れていた。
けれども、読んでみたら、人間として生きていく上で、必要なことが書かれていた。
まず最初に書かれているのは「おさだめ」
おさだめ
一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、父母にきかずしてものをもらふべからず。
一、ごうじょうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうはさかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず。
小さな子供を諭しているような内容だけれども、これを守り切れている大人はいるのだろうか?と、自戒を含めて思ったりした。
そして、一番気を付けなければならないと思ったのは、この文章だった。
てあしにけがをしても、かみにてゆはえ、またはかうやくなどつけて、だいじにしておけば、じきになほり、すこしのけがなれば、きずにもならぬものなり。
さてひとたるものは、うそをつかぬはずなり、ぬすみせぬはずなり。
いちどにてもうそをつき、ぬすみをするときは、すなはちこれを、こゝろのけがとまうすべし。
こゝろのけがは、てあしのけがよりも、おそろしいものにて、くすりやかうやくにては、なかなかなほりがたし。
かるがゆへに、おまへたちは、てあしよりもこゝろをだいじにすべきなり。
目に見えないが故に、私たちは自分を守るためと良い訳をしつつ、いろいろな嘘をついて取り繕って、そして、自分自身を傷つけていることに気付かない。
その心の怪我は、ずっと奥深く、己自身を傷つけているのだけれども、目に見えないものが故に、なかなか気付く事が出来ない。心の傷を癒してくれるようなものを求めたとしても、それは己自身で解決しなくてはならないものだったりする。
神様は言う「自分に正直になれ」と。
嘘や世間体に憑りつかれた自分自身ではなく、本来の自分自身の姿で居ろと。
たとえ誰が何と言おうとも、自分に嘘をつかないことが、一番大事なんだと。
そうすれば、自ずと他人に嘘をつく必要もなくなってくるのだから。