『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んだ

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photo credit: 水 Stormchild via photopin cc

このブログもWordpressで書くようになってから、そろそろ一年が経過しようとしている。

最初の頃は、一日数人程度の方に読んで頂いている状態だったけれど、今は一日平均700人程度、神社仏閣についていろいろ語っているマニアックなブログにしては、多くの方にご覧頂いていると思うと感謝している。

Adsenseなども利用しているので、ブログから収入があるけれども、まぁ、せいぜいサーバー代とプラスアルファという程度のものなので、ブログを書いている時間を考えると採算度外視という部分もある。

なのに、何故書いているのだろうか?と自問自答してしまったりする。

『禅マインド ビギナーズ・マインド 』という本を読んだ。

スティーブ・ジョブズが青春時代にむさぼり読んだ、禅のバイブル。ジョブズの伝記『スティーブ・ジョブズ』のなかでも深い影響を受けた本として掲載されている『zen mind beginner’s mind』の新訳完全版。(日本版『スティーブ・ジョブズ』では旧訳タイトル『禅へのいざない』で掲載)

アップル創業前夜、世界を洞察する智慧をジョブズは禅に見た。ジョブズの真実を理解するために必読の一冊。

佐野元春さん推薦!

僕は待っていた。待望の翻訳だ。
ZENがビートを作った。
アレン・ギンズバーグを代表とする
ビートニクたちのバイブル。
本書は、禅というシンプルな生き方に
興味を持つ人にとって、
やさしく平易な手引書となるだろう。
佐野元春

1970年に米国で出版以来、世界中で読まれている禅の入門書。
著者の鈴木俊隆老師は1959年に渡米し、サンフランシスコ禅センターを設立。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダーらビートニクたちを惹きつけ、1960年代、カウンターカルチャーのさなか、多くの若者が俊隆老師のもとで瞑想をした。のちにアップルを創業することになるスティーブ・ジョブズはまさにそうしたムーヴメントの申し子として本書と出会い、禅の道に入っていく。

本書134~135ページは、ノンブルなしの白紙とイラストのデザインとなっております。これは、原著『zen mind beginner’s mind』の構成を踏襲したものであり、落丁ではありません。本書22ページの「はじめに」の中に、このイラストの描かれた経緯が紹介されておりますので、ぜひお読みください。

鈴木俊隆(すずき・しゅんりゅう)
1904年生まれ、1971年逝去。神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県周智郡森町の蔵雲院の玉潤祖温老師に弟子入り、駒沢大学在学中に蔵雲院住職、1936年に静岡県焼津市の林叟院の住職となる。1959年渡米し、サンフランシスコ禅センターを設立。1967年カリフォルニア州タサハラにアジア以外では最初の禅院である禅心寺を開く。1971年に68歳で禅センターにて逝去。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。欧米では20世紀を代表する精神的指導者の一人とされる。

~Amazon商品紹介より引用

ということで、スティーブジョブスも若いころ永平寺に出家することまで真剣に考えたと自伝に書かれたことにもあるように、禅についてとても分かりやすく書かれていた本だった。

この本を読んでいて、自分がブログを書いているという行為が、自分が行っているということではないことを知る。

キリスト教によれば、存在するものすべては、私たちに対して神が与えたもの、あるいはつくられたものです。これが与えるということの完全な考え方です。しかし神が人間をつくり、そのため自分が、いわば神から切り離されているのだと考えると、今度は自分が神から与えられたものではないもの、切り離されているものをつくる力があるのだと考えるようになります。

たとえば飛行機や高速道路をつくり、そして「これは私がつくったのだ、私がつくったのだ」と繰り返します。すると、やがてこうしたさまざまなものをつくった、本当の「私」とは誰なのか忘れてしまいます。神を忘れてしまうのです。ここに人間の文化の危険性があるのです。

実際「大いなる私」とともになにかをつくるということは、与える、ということなのです。自分たちのためになにかをつくり出し、つくり出したものをを所有するということはできません。全て神がつくったものだからです。このポイントは忘れるべきではありません。

しかし私たちは、創造しているのは誰なのか、またなんのために創造しているのは誰なのか、またなんのために創造しているのか、ということを忘れてしまうために、物質的な価値、あるいはお金など、それを交換するための価値にとらわれてしまうのです。

神が創造したという絶対的価値に比べられる価値はありません。「小さな私」にとってどんなつまらないもの、価値が低く見えるものでも、それはそれ自身で、絶対的な価値を持っているのです。どんなものにも執着しないということは、この絶対的な価値に目覚める、ということです。

私たちが行うどんなことでも、あるいは物質的な価値や考え、自己中心的な考えではなく、このような目覚めた意識にもとづいて行われなければなりません。そのとき、私たちが行うどんなことも布施般若波羅蜜多となるのです。

~『禅マインド ビギナーズ・マインド 』より引用

このブログについても「これは私が書いている」と言う気持ちがあったら、とてもじゃないけれど、やってられないけれど、私が書いている、という気持ちで書いている部分はあまりないので、続けてこられたのだと思う。

36の項目で構成されているこの本は、ざっとなぞらえるだけならば、すぐに読み終えてしまう本なんだろう、とは思う。けれども、毎日一項目、じっくり読んでみると、世界は違って感じられるのではないのか、と思ったりした。

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