東京大神宮に行っても、まだ紀の善の開店時間にはなっていなかったので、開店時間まで神楽坂を探検してみようと神楽坂マップを見てみたら、筑土八幡神社と言う神社を発見。
神楽坂を登り、鳥茶屋本店を右手に曲がって、兵庫横丁なる雰囲気の良い路地を抜ける。
兵庫横丁
石畳・黒塀・見越しの木々と、もっとも神楽坂らしい一角。
と神楽坂マップには書かれていた。
確かに、歩いていると、とっても粋な雰囲気。
好きな人と歩くと楽しいかもね~、なんて思いつつ、一人で歩く自分(爆)
そして、筑土八幡神社に到着。
筑土八幡神社
神楽坂の喧騒からは想像も出来ないくらい、落ち着いた神社だった。
手水舎
狛犬さんたち
拝殿
こちらにお招きいただいた事に感謝して、お参りさせていただく。
そして境内散策。
宮比神社
御祭神は、宮比神で大宮売命(おおみやのめのみこと)・天細女命(あめのうずめのみこと)ともいわれる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、明治四十年に現在地に遷座した。現在の社殿は戦災で焼失したものを飯田橋自治会が昭和三十七年に再建したものである。平成十四年飯田橋自治会の人々が浄財を集めて再建したものである。
~Wikiより引用
ということらしいです。
こちらで気になったのは二つほど。
一つ目は「白鷹」
牛込・神楽坂と伊勢神宮御料酒「白鷹」
清酒「白鷹」は、全国の蔵元から唯一つ、伊勢神宮の御料酒として選定され、現在に至るまで日々神前に供えられている灘の銘酒であるが、当地牛込・神楽坂とも浅からぬ縁を持つ酒である。
「白鷹」は江戸末期、「超一流の酒のみを造る」という志で「白鷹」辰馬本家から分家した初代辰馬悦蔵によって興された。しかし超一流主義の造りは結果として高価な酒となり、なかなか評価されるに至らなかった。その中で、明治中期にこの酒を盛り立てた一つが、神楽坂とその地の酒商だった。
神楽坂などで安定的な顧客を得た「白鷹」はその後着実に超一流の酒造りに取り組み、大正十三年には伊勢神宮の御料酒として選定されるに至ったのである。
その名残で、現在でも神楽坂では白鷹が愛されており、路地裏には「白鷹」の看板も散見される。そして関東一手捌元として名を馳せた酒商もこの地で営みを続けている。また、飯田橋を隔てた東京大神宮でも、年間数万本の「白鷹」が参拝客にお領けされている。
斯くなる御縁に感謝し、この地の産土神たる筑土八幡神社に「白鷹」を奉納する。
と書かれていた。
いつも伊勢神宮に行くたびに、御神酒をいただいてきたけれども、実はその御神酒が神楽坂とも所以があったとは、と思って、この看板を見てしばし呆然としてしまったのですよ。。。
そしてもう一つ気になったのが、こちら。
庚申塔
よーく見てみると
お猿さんが二匹、桃を手にしている。
寛文4年(1664年)造立、太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しいという。
~Wikiより引用
これを見ていたら、何だかとっても不思議な気持ちになってしまった。
しかし境内には椿も咲き誇っていたりして、思わず和んだり。
神楽坂という場所はとても粋な雰囲気に溢れていて、ちょっと路地を入ると日常を離れることの出来る街でした。
しかし、これだけ伊勢に関わりのあるという街だったので、そろそろ伊勢神宮にも行かなくちゃなぁ、と思ったりしたのでした。