稲荷の神と女性

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photo credit: Distal Zou via photopin cc

お稲荷さんについて調べていて『伏見稲荷大社 (日本の古社)』という本を読んだ。伏見稲荷大社の美しい写真と共に、稲荷信仰について書かれた論文やエッセイなどが載っている、とても良い本だった。

その中でも歌人・芸術院会員でいらっしゃる岡野弘彦先生の書かれていた「伏見稲荷大社 神々の物語」というものがとても印象に残った。

「稲荷の神と女性」についても書かれているのだけれど、この中でいわゆる「まけ」について触れられているのが興味深かった。(ちなみに「まけ」というのは女性の生理の事で、以前記事にした、皇室へのソボクなギモンの中でも、宮中三殿に仕える内掌典の方が「まけ」の状態にあるときは、神事にかかわらず静かにしているということが書かれていた)

ネットで調べると、「まけ」=女性は不浄、ナンテ言うことが書かれているのを見るけれど、これを読んだら、甚だしい誤解だなぁと思わずにはいられなかったのだった。

一条院の御時だったろうか、進ノ命婦という女官があって、稲荷の社に念願あって七日間参籠した。三日目になって突然に月の障りがあった。社家の者は退出すべき由を計ったけれど、当人は遠慮しなければならぬ事でもないと考えて、そのまま参籠していて一首の歌を詠んで奉った。

「進んで俗塵に交わろうとなさる神だからして、けがれることを厭ったりはなさりますまい」

ところがその返歌に

「五欲の雲の晴れない世だからこそ、月の障りを忌むのだということがわからないか」

という神のお示しがあったので、恐縮して退出した。さてその後に女人は宇治の関白・頼道の思い人となり、さらに北政所となって、その「命婦」号を狐神の「阿古町」に譲ったという。

この話が後世風に屈折を経て、さらに仏教の影響で女人はけがれ多きものという考えに立ってしまっているけれども、もともとのかたちは神の近くに仕えて、神の嫁ともいうべき巫女と神の古い信仰のありようを伝えた話であったろう、と述べられていた。

たとえば『古事記』の倭健神話のなかに、倭健命が美夜受比売(みやずひめ)を訪問すると、迎えた比売の着物の裾に月経(つきのもの)がついていた。そこで命は

「……枕(ま)かむとは われはすえど、さ寝むとは われは思へど、汝(な)が著(け)せる襲(おすひ)の裾に 月立ちにけり」

と歌った。それに答えて比売が

「……うべなうべな 君待ちがてに、わが著せる 襲の裾に 月立たなむよ」

と答えている。比売の歌は「……ほんとうにそのとおりでございますよ。あなたのお訪ねを待ちかねて、私の上の衣の裾に月が現れるのも、当然のことでございますよ」の意である。

聖なる来訪者、まれびとの男を待ち受けて神の妻となる女性に、月のものが現れるのは当然のことで。月立つ、すなわち空に月が現れ、女性に月のものが現れるときこそ、遠来の神がおとずれてあい逢うときであった。

それがけがれとして逆転してゆく理由は、ひとつはその期間の女性は神のもので、男にとっては宗教的タブーの触れてはならぬ期間であったものが、長い間に聖俗逆転したこと。もうひとつは仏教思想が浸透して、罪障ふかき女のけがれ、血のけがれと考えられ、本体は男よりも神に近く仕えてきた女性がしりぞけられていったからであった。

女性が不浄なものだとしたら、みんなその女性から生まれてきているのは何故なんだろうなーとは思っちゃうんですけどね。。。

この他にも、以前から不思議に思っていたことが分かったので(←神道大祓全集を見ていた時に、大祓詞が2種類あったので、何故だろうと思っていた)お稲荷さんを知るということ以外にも勉強になった本でした。


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