武蔵御嶽神社に行ってきた【その3】~占いの神様のおみくじ

武蔵御嶽神社参道21

武蔵御嶽神社に到着~。

手水で清めて、階段を登っていこうとしたら、鳥居近くの石碑に目が止まる。

大麻止乃豆乃天神社

と書かれていた。

武蔵御嶽神社1

社伝によれば、創建はだい10代崇神天皇7年に武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)が東方十二道を平定の時、大己貴命・少彦名命をお祀りしたのが起源とされ、奈良時代になり天平8年736)僧の行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現の像を安置したと伝えられる。

平安時代の延喜式神名帳には、この地の地主神である大麻止乃豆乃天神社(オオマトノツノアマツカミヤシロ)として記され、古くより関東の霊山として信仰されてきました。

武蔵御嶽神社HPより引用

この石碑を発見できたことにも、意味があるんだろうと、思ったりした。

そして疱瘡社というお社を発見する。

疱瘡社

武蔵御嶽神社2

武蔵御嶽神社3

こちらでもお参りさせていただき、いよいよ鳥居を潜る。

武蔵御嶽神社4

武蔵御嶽神社5

武蔵御嶽神社6

武蔵御嶽神社7

急勾配の参道を抜けたと思ったら、階段だらけなので、初めて来た時には、なんじゃここ!と思った記憶があったけれども、あれから数年、全国各地の神社仏閣にお伺いした今となってはこの階段でもそんなに苦にならない自分が居た事にびっくり(笑)

馴れって怖いわーと思いつつ(爆)

隋神門

武蔵御嶽神社9

武蔵御嶽神社10

武蔵御嶽神社8

この社は多くの戦乱の中、文暦元年には伊勢大宮司の中臣国兼に、江戸時代には大久保石見盛長安の普請奉行により、修復、造営を行われてきました。明治維新の神仏分離政策により、仁王門から仁王が取り除かれ、替わって右大臣、左大臣の像を安置、二層楼閣だった造りを一層に改め、現在に至ります。本殿は神明造り、拝殿は権現造りの古き神仏混合時代の名残があります。

御岳山商店組合 HPより引用

とあるように、こちらも明治の廃仏毀釈の影響が色濃く残っているところだったりする。

本来ならば、仁王像があったんだもんね。。。

そんなことを思いながら、階段をひたすらテクテク歩く。

山登りの人達からは、煩悩の数どころじゃない階段の段数よねぇ~ナンテ声が聞こえてきた(笑)

武蔵御嶽神社11

武蔵御嶽神社12

そんな人のためなのか、カワイイベンチがあったりします。

武蔵御嶽神社13

武蔵御嶽神社15

途中には稲荷社もあったり

稲荷社

武蔵御嶽神社14

三柱社もあったりします。

三柱社

武蔵御嶽神社16

武蔵御嶽神社17

途中途中でお参りしながらなので、階段を登るのも苦にはならない。

武蔵御嶽神社18

武蔵御嶽神社19

そしてようやく拝殿が見えてきた~!

武蔵御嶽神社20

あいにく拝殿は工事中。

狛犬さんたち

武蔵御嶽神社21

武蔵御嶽神社22

とっても凛々しい狛犬さんたちなのでした。

そして拝殿でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

お参り後は、神符授与所で御朱印と、お守りと御塩を御砂を頂戴して、そしておみくじを引かせていただく。

武蔵御嶽神社24

武蔵御嶽神社25

武蔵御嶽神社のおみくじは、とても当たると評判らしい。

と、いうのも、御祭神の一柱が櫛麻智命(くしまちのみこと)様で知恵と占いの神様ということと、日本最古の占いである「太占神事」という秘祭(現在では群馬県富岡市にある貫前神社と武蔵御嶽神社の二社のみに伝わっている)が行われる神社ということが由来しているらしい。

けれども当たるということは、辛辣なことも書かれているということで、恐る恐るおみくじを引いたら、本当に見抜かれているようなことが書かれていて卒倒しそうになった(爆)

ちなみにこちらのおみくじは、古語で書かれているので、御親切に現代語訳で書かれたものがファイリングしてあった。昔来た時にはなかったので、尋ねる人が多かったんだろうなぁ、ナンテ思いつつ、自分のおみくじの番号の現代語訳を見た。

武蔵御嶽神社23

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