善通寺は807年に真言宗布教の勅許を得た空海様が、父の佐伯直田公から土地の寄進を受けて6年かけて建てたもので、寺名は父の実名の「善通(よしみち)」からつけられ、伽藍は空海様の師である恵果が住職を務めた長安の青龍寺を模して造営されたと言われている。
鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に誕生院と言うお寺が建てられ、善通寺と誕生院は別のお寺だったけれども、明治時代に一つのお寺となった。
誕生院が「西院」、伽藍が「東院」と言うことで、御影堂でお参りさせていただいた後に西院を散策した。
善通寺蓮弁祈願所とその隣にいらっしゃった大黒様へご挨拶。
聖天堂
お参りの人が絶えないお寺には必ずいらっしゃるのは聖天様。
聖霊殿
地蔵堂
護摩堂の百八羅漢
護摩堂
閻魔堂
親鸞堂
何故善通寺に親鸞様?と思ってしまったので、案内板を見ると
この堂に安置してある親鸞上人の尊像は「鎌田の御影」と称われ日本一体上人御自作の尊像であります。
その由来は、上人六十二才の時、関東地方を遊化の砌、下総国鎌田荘(現在の千葉県市川市)吉田源五左衛門易幹という信者の家に留錫して朝夕法説しておられた所上人御帰洛に際し、吉田夫婦他数多の信者深く名残りを惜しまれたので、上人は自ら木像を刻み誓いの一詩をその像の背中に刻み付け「讃岐善通寺は弘法大師生誕の霊地にて我が師法然上人は彼の地に詣でて自ら逆修の塔を建て給えり、我も彼の寺へ詣でなんと思えど、その願いを果たさず、願わくは、この像を彼の寺に送り今生の願望を遂げしめよ」と遺命せられました。
その後、吉田家にて大切に供養していたが、しばしば霊夢に托して、早く善通寺へ送れよとの御告げがあり遂に三代の孫、吉田源次左衛門年幹なる者、この像を送り来り、当山に納められたのであります。
と書かれていた。
全く無学なのでこういった逸話があることを知らなかった。
またそれほど善通寺という場所が過去の聖人にとっても重要な場所であったと言う事を再認識させていただき、お参りさせていただいた。
鐘楼
こちらの鐘楼は自由に鐘を撞くことが出来るので、私も鐘を撞かせていただいた。
仁王門
仁王門を抜けると小さなお社があり、弁財天様がお祀りされていた。
弁天社
正面からお参りすることは叶わなかったけれども、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして西院から東院へ向かう途中に大同二年空海様が創建されたという観智院と言うお寺があったので、こちらでもお参りさせていただいた。
観智院
子安観音と言われているだけあって、とてもお優しい観音様がいらっしゃった。
そしてその近くには毘沙門天様がお祀りされている華蔵院がある。
華蔵院
西院で心ゆくままにお参りしていたら、結構な時間が経っていたことに気づいて、慌てて東院へと向かった。