美味しいうどんを食べた後、駐車場を抜けて善通寺の西院へ向かおうとしていたら、赤い大きな鳥居が目に入った。
気になったので、とりあえずご挨拶にお伺いする。
五智院稲荷大明神
善通寺の塔頭である寺院で、伏見稲荷から勧請し祀られているお稲荷さんだと知る。
明るい狐さんたち。
こちらにお招きいただいたことに感謝して、ご挨拶させていただいた。
13時も過ぎていたので、善通寺へ急がなければと思いお参りはこちらのお稲荷さんだけにしたけれども、後々調べたらいろいろと興味深いお寺さんだった。
またご縁があれば、お参りすることも出来るのでしょう。
善通寺の西院へと向かう。
駐車場脇の七福神様へもご挨拶させていただき
済世橋を渡る
駐車場方面を振り返ると何とも美しい光景。
正覚門を潜ると
左側にはパゴダ供養塔。
そのまま道なりに進むと御影堂に到着する
手水で清めさせていただき
お線香と蝋燭を手向けた後、御影堂でお参りさせていただく。
御影堂は弘法大師様が御誕生された佐伯家の邸宅跡に建ち、弘法大師様自作と伝わる弘法大師画像【瞬目大師】(弘法大師が唐に渡る前、母のために御影堂前の御影の池で自分の姿を写して描いた&鎌倉時代・土御門天皇御拝覧の時に目をまばたきされたことから、この御尊号を下賜されたと言われている)が安置されている(秘仏)
そして、この御影堂奥殿に安置されている瞬目大師は、50年に一度弘法大師御遠忌のみ御開帳されるのだけれども、奇しくも今年令和5年(2023年)4月23日から6月15日まで御開帳されるということです(御縁のある方は是非)
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そしてせっかくなので戒壇めぐりもさせていただくことにした。
私がお伺いした日は宝物館が休館ということで、入口受付の方から戒壇めぐりしかできないけれども大丈夫ですか?と確認いただいたけれども、今度いつこちらにお参り出来るか分からなかったので、戒壇めぐりだけさせていただくことにした。
内拝料(¥500)を支払い、靴を脱いで戒壇めぐり入口まで進むと受付の方より真っ暗なので左手を壁につけながら、南無大師遍照金剛と唱えながらお進み下さいとご教示いただく。
階段を下り、戒壇めぐりへ。
2022年5月に朝護孫子寺本堂で体験した戒壇めぐりの時は、薄っすらと先が見える位の暗さだったけれども、こちらはガチで真っ暗だった。
おまけに宝物館が休館ということも相まって、私以外に誰も戒壇めぐりをしている人が居なかったので、人の気配も全く感じず、左手の壁の感触しか頼るものが無かった。
そんな中、南無大師遍照金剛と唱えていると、やはり思い出したのは、昔高野山で受けた結縁灌頂のことだった。
ブログを始めたばかりの頃の文章なので、荒削りだけれども、引用すると
大げさに言うと、生まれるまでの瞬間なのかなぁ、って。
暗くて寒いところで、何が起こるのか分からずに待っていて誘導されて、ご縁を頂いて、世の中に出る、っていう感じ。そして
自分の命って自分だけのものではないような気がした。こうやって自分が生きているのも自分だけの力ではなく、何か、に生かされているような そして、私の身体であって私の身体ではないような不思議な感覚がした。
私のこの身体でないと、出来ないことがある。
それが生きている意味なのか、と。こういった宗教儀式的なものって、どうよ?って思っていたけれど
生きるという事を考え、また、自分自身のこれからの生き方を考えるには良い機会だと思った。そして9人位が一組となって呼ばれて 弘法大師様と丹生明神、高野明神に祈りを捧げた後、いよいよ中へ。 まず白い紙で目隠...
そして結縁灌頂のご縁をいただいてほぼ10年後に、こうやって再び結縁灌頂の事を思い出すというのは、自分が気づいていなかっただけで、お大師様に見守っていただいていたと言う事ではないのだろうか?と思えて仕方が無かった。突発的に今回高松に来たことも併せて考えると不思議ではある。
暗闇の中、頼れるものが自分しかいない状況で、南無大師遍照金剛と唱えていると、不思議とお大師様が寄り添ってくださっているような感覚に包まれた。
そして暗闇を抜けると御誕生の聖地(奥殿真下)に到着して、お大師様のお声でお言葉がいただけるのだけれども、真っ暗闇の中から明るい場所へ辿り着けた事への安堵感、そしてそのお大師様のお言葉に深く感動して涙ぐんでいる自分が居た。
聖地を後にして、また真っ暗な中、左手を壁に添わせながら南無大師遍照金剛と唱え出口を目指す。
同じ暗闇でも、聖地へお伺いする前とお伺いした後では不安や恐怖の度合いが全く違って感じられ、これはお大師様のお導きが一層強固になったからではないかと思ってしまった。
善通寺でいただいたパンフレットには
御影堂地下の「戒壇めぐり」は暗闇のなかで自己を見つめなおし、お大師様と結縁出来る道場です
と書かれていたけれども、確かに自己を見つめなおすことが出来た。
それ以上に今まで私を育ててくれた親や見守って下さっていた人々への感謝の気持ちが自然と溢れてきて、そしてこれらの方々にきちんと恩返しをしていかなければならないと言う気持ちで一杯になった。
自己中心的な生き方を改めて、人に尽くせるように。
それこそ空海様のように。