人は何のために祈るのか

あけましておめでとうございます。

年末年始、デジタルデトックスと称し、スマホ・PCより離れておりました関係で、新年のご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます。

年末、とある方に先日のブログに記したような、現在の心境を語ったところ

先週末にはいつものところにお参りさせていただくために 京都に行ったり 今週末は高城剛さんのトーク...

余りにも欲が無さすぎるし、その分浄化が進んでいるので、年末年始には人の多いところに行くことは気を付けるように、とのお達しを受けた。

確かに最近は、近所を散歩している途中に見かけた、道端に生えている花の美しさに感動してしまったり、飼い主さんとお散歩を楽しんでいるワンコの愛らしさに魅了されてしまったり。

挙句の果てには、朝食に目玉焼きを作ろうとフライパンに火をかけて、油を引いて卵を落としてからしばらくすると繰り出される、フツフツとした音を聞くだけでも幸せを感じてしまったりと、自分でもびっくりするくらいに、感覚が研ぎ澄まされていることに気付く。

まぁしばらく経てば、欲も出てくるのでしょうが、せっかくなので年末年始は仰せの通り、外部との接触はなるべく避けるようにしようと、デジタルデトックスなるものを試みたのでした。

奇しくも年末に、とあるお寺だけで頒布されている信仰に関する本を入手することが出来たので、年末年始はその本を貪るように読んでいた。

そして、自分自身の信仰というものが、やっとスタートラインに立てたようなものだということを改めて認めざるを得なかった。

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今日は代々木八幡にヤボ用があったので、代々木八幡宮にも新年のご挨拶に伺う。

1月4日の午後ということもあり、参拝客はそれほどでもないのかと思いきや

石段を登った鳥居下から行列は続き、本殿での参拝までに待った時間は40分程だった。。。

待っている間に、否応なく他の参拝客の会話が聞こえてきたのだけれども、やはり出世稲荷様目当ての方が多い印象。一応、本殿にもお参りするけれども、本命はあっち(出世稲荷様)よね、なんていう会話も聞こえてきた。

以前ならばこういう会話を耳にして、一人勝手に憤慨していたけれども、今は「そうですか」位の印象しか受けない。

だってそんな人、神仏は全く相手にしていないから。

ご利益というものは、神仏が祈った本人に幸運を与えることによって、その人物が他を幸せに出来る力を授けて下さったようなもの。だから、自分のことばかり考えて、いただいた幸運を他に施すこともせずに独り占めするような人には、決してご利益は与えない。

そういうことも分からずに、パワースポットなんていう言葉に踊らされて、あっちの神社、こっちの寺社に行って、願いを叶えて欲しいと言ったところで、決して叶うことは無い。

今回、出世稲荷様へのお参りはご遠慮させていただいた。

我利我利亡者の妄念が多く散らばっているであろう、この時期の出世稲荷様のところへお参りしたら、それこそ今の状態の私では大変なことになるだろうと容易に想像出来たから。

また落ち着いたら、お伺いすることにしようと。

帰り道、遠回りをしてセキセキ様のところへお伺いした。

代々木八幡宮の喧噪が嘘のように静かなその地で、新年のご挨拶をさせていただく。

人は何のために祈るのか。

己の保身のみを祈る者は、その身勝手な振る舞いこそが、己を滅ぼしていることに気付くこともなく。

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