2014年12月に京都に行った際に、東寺にお伺いした。
そして、食堂で「お大師さまのおことば」という紙を見かけた。
ご自由にお取り下さい、ということだったので、頂いたのだけれども、今見返すと、ハッとさせられることばの数々だった。
お大師さまのおことば 平成二十六年十一月一日 東寺 No.48
哀れなる哉 哀れなる哉 また哀れなる哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
この言葉は、空海さんの甥で、最初の弟子であった智泉への、深い悲しみのおことばです、という風に書かれていて、亡くなった人は、もうこの世にはいないけれど、私が思い出すとき いつもこの人は胸の中で生きている、という解説が書かれているけれども、それだけではない、空海さんの人としての情を感じることができるおことばだと思う。
仏教でいくら、人の死について語っていても、やっぱり悲しいものは悲しい、ときちんと心情を吐露されている。
そこに私は空海さんという人柄を感じてしまうのです。
お大師さまのおことば 平成二十七年一月一日 東寺 No.50
諸法の空を知らざれば
彼よく涅槃を知るに非ず
空とは私への執着がなくなった状態です。我を忘れて何かに没頭しているときです。人を救おうと飛び込んだときです。下がらぬ頭が下がったときです。そのとき、私は空になっています、という解説が書かれている。
自分を捨てる、ということではない。
自分への執着がなくなった状態というものが空。
なかなか難しいけれどもね。
そして、一番ハッとしたのはこの言葉
お大師さまのおことば 平成二十六年十二月一日 東寺 No.49
心の海岸に達せんと欲すれば
船を棹さんには如かじ
心の海岸(彼岸)に達して悟ろうと思うのであれば、まず船に棹さして、漕ぎ出さねばならない。目標を決めたら、失敗を恐れずに、出発しよう。人生は冒険である、と解説には書かれている。
毎日同じようなことをしていて、何も変わらないと思っているだけでは、本当に何も変わらない。
空海さんのお話を読むと、偉大な人だから成し得た偉業の数々だと思わざるを得ないことも多いけれども、全ては順調だったわけでは無い。
けれども、チャンスを虎視眈々と狙って、その時、と言うときにはちゃんと行動されている。
そろそろ、冒険に出るときですね。

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