ここ半年で学んだこと

人生の変わり目はだいたいにおいて、向こうからあなたを選びます。あなたが選ぶことはほとんどありません。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号)) より引用

という言葉が実感できる程、様々なことがあったここ半年。

ブログを書くのも超久々で、書き方を忘れてしまった位、いろいろなことがあった。

身内の死や、それに伴う事務処理やトラブルの数々、そして自身の引っ越し等々、様々な出来事に翻弄され、それらの出来事にイチイチ感傷的になっている暇が無い程に、目まぐるしく時間は過ぎ去り、2021年の7月も終わりを告げようとしている。

緊急事態宣言が発令される前の7月某日、いつもお伺いするところに行く為に1泊2日の日程で関西入りした。

1日はいつもお伺いするところ用に時間を取っていて、もう一日は京都観光でも、などと考えていたけれども、目に見えない疲労は溜まっていた。

京都観光するよりも、まず自身の身体を休めたい、という気持ちが大きくなっていたところ、ふと思い出したのが北白川の不動温泉だった。

以前、京都駅から比叡山にバスで移動していた時に、地蔵谷という京都駅から30分程度のところにあるバス停の周囲の雰囲気がとても良く感じて、バスの車窓越しに「いつかここら辺を散策してみたい」と思いながら比叡山に向かったことを思い出したのだった。

詳しくは「京都北白川 不動温泉」のHPをご覧頂きたいのですが

不動温泉は源泉を持ち、山の岩肌から霊水がしたたるラジウム泉です。
不動温泉の発端は1954年にお寺の境内の工事をしていたところ花崗岩から湧き出す鉱泉が発見されました。

という、お寺にある温泉なのです。

今回、京都駅からバスにゆられ、地蔵谷で下車するも、ここで下車するのは私一人という状況で

どんなところなのかと期待半分、不安半分でお邪魔させて頂いた。

温泉に入るのが目的だったけれども、やはりお寺ということで、最初にお堂へ向かう。

こちらは正式には真言宗 醍醐派 北白川山 不動院というお寺なので、不動明王様、空海さんがお祀りされている。

今回こちらにお招き頂いた事に感謝してお参りさせていただいた。

そして何となく龍っぽい雰囲気を感じたので、お堂を離れて階段を登るとお社があり、ああそうなのだなぁ、と思いながらもそちらのお社にもお参りさせていただく(写真を撮るのは憚れるような気がしたので写真は無しです)

そして不動温泉へお邪魔する。

受付の女性が以前お世話になっていたスピ系のセラピストとそっくりな事に驚きつつ(話し方も同じような感じだったので、そういう人なのか?と思いつつ)利用方法についてレクチャーを受ける。

料金は一日¥1,300で、タオルは¥200。

雑魚寝が出来るような畳敷きの広い休憩室に等間隔で机が置いてあり、その机を専用机ということで一つあてがわれるので、その机に荷物を置く。

貴重品などは専用のロッカーがあるのでそれを使用するように言われ、御手洗いとお風呂の場所を案内してもらった。

1,300円支払えば一日丸々居ても良いとのことで、休憩室で食事をしたり、眠くなったら寝てしまっても構わないという、なんともゆるゆるな設定。

しかしこのゆるゆる感がいろいろな事で疲弊してしまった身にはとても有難かった。

早速温泉に入る。

週末を利用して関西入りしたのでこの日は土曜日だったのだけれども、温泉には誰も居なかったので、心ゆくまで温泉を堪能する。

ラジウム温泉ということで、色々な病気を治す力があると言われているだけあって、一回ゆったりと入浴しただけで、今までの疲れや穢れのようなものが祓われ清められたような気分になった。

入浴後、こちらで提供されていた鍋焼きうどんをいただいた。

休憩室には他にも人が居たので、休憩室の写真を撮ることは遠慮したのだけれども、大概はおひとりさまで、グループで来ていても騒いでいるような人が居なかったので、うどんをすする音がちょっと恥ずかしいと思える位の静けさ。

この静けさと、この温泉独特の雰囲気に、滅茶苦茶癒しを感じてしまった。

あんまりパワースポットって言葉使いたくないのだけれども、ここめっちゃパワースポットやん!と思いながら、鍋焼きうどんをすする。

そしてこちらの温泉の「おたすけ水」なるものをグビグビ飲みながら、休憩室に置いてあった本(宗教的な本)を読んだり、何も考えずに窓の外を見たりして、ダラダラ・グダグダした時間を過ごす。

絵画でも何でもそうだけれども、余白というものが無ければ、メインとなるものが引き立たないように、人間の人生という時間に於いても余白というものが必要で、この何も考えずにダラダラ・グダグダする時間が必要だったのだと改めて認識した。

ちなみにこの「おたすけ水」というのは、不動院境内の花崗岩から湧き出す鉱泉が発見され、ケガをした人達がこの水で傷を洗い清めると治りが早いことから「おたすけ水」呼ばれているそうで、難病にも効くということも囁かれているそうで。

そして再び温泉に浸かり、休憩室に戻ると猛烈な眠気に襲われ、しばし横になると熟睡してしまったようで、目を覚ますと何かよろしくないものが抜けたような感覚に陥った。

時間を確認すると、京都駅まで戻るバスの時間まで少ししかない事に気付き、慌てて身支度を整える。そしてやはりこの「おたすけ水」はいただいておきたいと思ったので、温泉の方からペットボトルを購入して汲んで帰った。

翌日いつものところにお伺いして、日頃の守護に感謝しお参りさせていただいた。

人生は自分の思う通りに進まない。

けれども自分の思う通りに進んだとしても、それが良い結果に繋がるとも限らない。

トラブルと思えることも、事体を好転するきっかけになるのかも知れない。

あれこれ考えずに、目の前の物事に真摯に取り組み、神仏の導きに従い感謝すること。

これが、ここ半年で学んだこと。

人生の変わり目はだいたいにおいて、向こうからあなたを選びます。あなたが選ぶことはほとんどありません。

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