最勝院高徳庵を後にして、法堂方面へと戻ると、参拝客の姿を多く目にするようになってきた。
やはり有名なところは早朝にお伺いするのが良いのだろう、と思いつつ、山門方面へと向かう。
そして拝観手続きを済ませ、山門楼上へと急傾斜の階段を登り向かう。
楼上に着くと、そこには京都市内が見渡せる絶景が広がっていた。
石川五右衛門の説がここではない、と言う事も分かっているのだけれども、確かに「絶景かな」と言わざるを得ない程の景観。
三島由紀夫の『金閣寺 』の中では、主人公とその友人が堂裡へと入り、その堂内の様子が描かれていたので、堂内に入れるのかしらん?と思っていたけれども、この日はお彼岸ということもあって、堂裡では法要が行われていたので、堂内に入ることは叶わなかった。
しかしながら、僧侶達の読経が響く中、楼上から眺める京都の景色はとても貴重なものに感じられ、しばしこの美しい景色を一人堪能していた。
そして三門の楼上に登ることがあったのならば、絶対見てみたいと思っていたのが、山門から眺めることの出来る天授庵だった。
釈尊の像の前で、私たちはひざまずいて合掌した。御堂を出た。しかし楼上からは去りがたかった。そこで登ってきた段の横手の南むきの勾欄にもたれていた。
私はどこやらに何か美しい小さな色彩の渦のようなものを感じていた、それは今見て来た天井画の極彩色の残像かとも思われた。豊満な色の凝集した感じは、あの迦陵頻伽に似た鳥が、いちめんの若葉や松のみどりのどこかしらの枝に隠れていて、華麗な翼のはじを垣間見せているようでもあった。
そうではなかった。われわれの眼下には、路を隔てて天授庵があった。静かな低い木々を簡素に植えた庭を、四角い石の角だけを接してならべた敷石の径が屈折してよぎり、障子をあけ放ったひろい座敷へと通じていた。座敷の中は、床の間も違い棚も隈なく見えた。そこにはよく献茶があったり、貸茶席に使われているらしいのだが、緋毛氈があざやかに敷かれていた。一人の若い女が坐っている。私の目に映ったものはそれだったのである。
~『金閣寺』より引用
実際に三門楼上から天授庵方面を見ると、木々に覆われて中の様子を伺い知る事は出来なかった。
しかしながら、『金閣寺』の中で描かれているこの後の展開を読むと、三島由紀夫の想像力と言うものに感服せざるを得ない気持ちで一杯になった。
想像で物事を語ると、常識があると言われている人々は「現実を見なさい」と言い、それが世間の常識、ということで、やがて歳を重ねるごとに次第に決まりきった想像しか出来ないようになってしまうけれども、目に見えているものだけで物事を判断していては、何も生み出すことは出来ないのではないのではないだろうか?と三門楼上で改めて感じてしまった。