築地本願寺を後にして、築地に来たのだから、と気になっていた神社にお伺いすることにした。
それは築地の波除神社。
波除神社
こちらの神社の由来は
今から350年程前の江戸時代初期、この築地一帯は一面の海でした。
江戸城増築と供に始められた江戸の埋め立ての際に、4代将軍家綱公が手掛けた最後の埋立の工事で困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激しい波にさらわれてしまうのです。
萬治2年(1659年)或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思い船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、盛大なお祭りをしましたところ波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。
人々は、御神徳のあらたかさから稲荷大神に『波除』の尊称を奉り、雲を従える『龍』、風を従える『虎』そして一声で『龍虎』を威伏させる『獅子』の巨大な頭が数体奉納され、それにあわせ当時裕福な方は個人で、お金にゆとりのない方は数人で「講」をつくりお金を出し合い一対の獅子頭を持ち、江戸時代から明治にかけまして築地一帯では数十対の獅子頭がありました。これを担いでまわったのが当社の夏の祭礼『つきじ獅子祭』の始まりです。
創建当時に奉納された巨大な獅子頭は江戸時代に焼失し、築地一帯にあった多くの獅子頭も関東大震災でほぼ焼失し、この時に修理に出されていた寛永元年(1848)作の獅子頭一対のみが難を免れ残り、この獅子頭は区の文化財に指定されました。
江戸時代に焼失した巨大な獅子頭は雄獅子(天井大獅子)が平成2年に、雌獅子(弁財天お歯黒獅子)が平成14年に再興され、境内の獅子殿・弁財天社に安置されております。本殿には江戸時代に焼失し平成24年に再興された『龍虎』の頭を見下ろす形で、焼失を免れた文化財の獅子頭が安置されたおります。
~築地 波除神社 参拝の栞 より引用
ということで、こちらの神社の境内に入るとすぐに目に飛び込んでくるのが、獅子頭だったりする。
獅子殿(天井大獅子)
こんなに大きな獅子見た事ない!と驚きを隠せずにいると、この獅子殿と向き合っているような形で雌獅子(弁財天お歯黒獅子)があった。
摂社弁財天社(弁財天お歯黒獅子)
写真に上手く撮れなかったのだけれども、こちらの下の方に手水があり、お歯黒獅子様に見守られるような格好で手と口を清めさせていただいた。
近くには御神木。
そして御本社にこちらにお招きいただいた事に感謝してお参りさせていただいた。
参拝後に御本社を写真に収めると、玉のようなものが写り
偶然かしらん?と思って、もう一度シャッターを押すと、これまた同じようなものが。
単純なワタクシは倉稲魂命さまに歓迎されているように感じてしまったのでした(笑)
そして末社でもお参りさせていただき
末社
境内を散策してみた。
ぶっちゃけ本当に狭い境内なのだけれども、こちらが築地という食を司る地であるということを実感させるようなお塚が沢山あった。
玉子塚
海老塚
あんこう塚&活魚塚
昆布塚
そして築地と言えば、吉野家の第一号店があった場所だということで、吉野家の記念碑もあった。
吉野家 石碑
そして目立たない場所に狐さん達がいらっしゃったことが、何故か印象に残った。
参拝後に御朱印を受けて、なんとなくお御籤を引かせていただきたいような気になったので、御御籤を引かせていただくと、それこそ今の私にとって必要な言葉がズバリと書かれていた。
他人の決めた常識にとらわれることなく、自分で決断せよ
予測できる未来などない
自分で創るものだ
こちらの神社には、一声で万物を威伏させる獅子がいらっしゃる。
その獅子が、私の中の恐れや不安というものを一喝してくれたような気がしてしまい、今回こちらにお伺いしたことで、とにかく次の一歩を踏み出そうと決意することが出来た。