気が付けば今日は3月11日だった。
最近は忙しさにかまけて、神社仏閣にお伺いすることもままならないまま、今日も週末のルーティーン(掃除など)で一日を終える予定だったけれども、日用品の買い出しに出かけようとした足は、何故か平田神社に向かっていた。
こちらは徒歩で行ける神社だと言うのに、お伺いするのはほぼ3年半ぶりだと言う事に気付くも、やはり神社仏閣と言うのは呼ばれなければ行けない場所だということで、今回こちらにお伺いしたのも、何か意味があるような気がして仕方がなかった。
3月11日と言えば、7年前、東日本大震災の起こった日でもある。
あれから7年という時が経過したのか、と思うと同時に、スピリチュアルな人が言うように、東日本大震災が起きたことによって自身が本当にやりたい事に目覚める人々が多くなり、それによって世界はより良くなっていく、というストーリーは7年経過した現時点でも実感出来ていない。
むしろ、人々がそれぞれ、己の欲望のままに進んでいるが故にますます混乱をきたしているような、そんな気がしてならなかったりする。
そんなことを思いながら、御社に到着した。
住宅街にある近代的なその御社を写真に収めると光が満ちてきた。
再びこちらにお招きいただいたことに感謝して、お参りさせていただいた。
そしてすべての人々が幸せになりますようにと、祈りを捧げた。
私の祈りの力などは微力だろう。
けれども、今回、やはり平田先生のお力が必要だと感じたからこそ、意図せぬ形で、呼ばれるようにこちらにお伺いしたのだろうと思える。
平田先生について語ることは、国粋主義を容認するようで、現代の風潮には合っていないのかも知れないけれども、全てを否定するのではなく、その思想の幹を成している本質を感じ取ることが必要なのではないのだろうかと思ってしまった次第でございます。
まぁ、キセキレイの独り言だと思ってご笑納下さいませ。